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だんだん春が近づいてきました。光だけの春から本当の春へ。さて今日のお話は私の初体験、今年一番の大寒波がやってきた、あの2月の3連休の出来事について。この3日間、私は能登半島に行ってきたのですが、なんと人生はじめての体験をしてしまったのです。
それは、こんな元気な子どもたちのタイトルコールから始まりました。
「まずはいちにちおためしで! わじまし、まちのちく、りんじさいがいほうそうきょく じっけんほうそう! まちのラジオ!! まちのみんなでつくる、まちのラジオです。いえ〜〜〜〜〜〜い!!」
そうなんです。なんと私、新しいラジオ局を開設するための実験放送をするという生まれて初めてのミッションを果たすため、ボランティアに行ってきたのです。
NHKラジオは今年100年を迎えますが、たぶん日本で今一番新しいラジオ局でおしゃべりしてきました。
2025年2月23日日曜日、午前10時。
地震から1年以上たった能登半島の石川県輪島市町野町で、まずは1日限りのお試し放送の臨時災害FM局「まちのラジオ」の実験放送が立ち上がりました。午後3時までの5時間生放送。町の中心部にある町野支所2階のホールがメインスタジオ。誰でも遊びに来られる出入り自由の公開生放送です。
災害FMというのは災害時に被災した地域で給水、炊き出しといった生活に必要な情報や、国や県、市町村からのお知らせなどを放送するため臨時に開設されるラジオ局のことです。30年前の阪神・淡路大震災で兵庫県が開設したFM796フェニックスをはじめ、東日本大震災では岩手、宮城、福島の被災地で26局が開局。それぞれの避難所や仮設住宅で暮らす人々の支えとなりました。
町野町でも早くから「町のラジオを!」という声はあったのですが、当初は建物や電線、電波塔などのダメージがあまりにも大きく、加えてラジオ局を担う人員を確保することが困難だったためなかなか実現しませんでした。