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そうして私が行き着いたのは、「2番手になった感じがするから」という答えだ。自分の人生なのに、「主人(公)」が別にいて、私は「その次」になったように感じたのだ。

小さいころから、私が主人公の物語を生きてきた。なのに結婚したとたん、田中が主人公の物語の一員になった気がして、どうにもしっくりこないのだ。もちろん、田中の物語にスッとなじんでいく人、田中の物語に入るのがうれしい人、というのもたくさんいると思う。そういう人はそれでいい。でも私は違うのだ。私が主人公の物語を続けていきたいのだ。

だから、母の書く『田中海』が耐え難かったのだと思う。ごめんねお母さん。ずっと主人公でいさせてくれたのに、2番手になってごめん。

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あれから15年近く経ち、結局私は田中ではなくなった。別姓を主張してのペーパー離婚ではなく、単に婚姻関係を続けるのが難しくなっただけなのがちょっとわびしいけれど、自分が1番手の人生を、今はそれなりに楽しく生きている。

もう2番手にはなりたくないので、今後誰かと結婚したいと思ったとしても、そのときは事実婚を選ぶだろう。いつまでたっても夫婦別姓が認められないので、しかたがない。

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ちなみに母は、私が結婚した数年後、63歳で他界してしまった。昨日まで元気だったのに、突然心臓が止まって、驚くほど鮮やかにいなくなった。

人生には、そういうことがときどき起こる。だから、法律が変わることだってあるかもしれない。全然、対比させることじゃないのだけれど。
 

「AERA dot.」鎌田倫子編集長から

「私が主人公の物語を続けていきたいのだ」。この一言にウミさんの人生観が凝縮されていると思いました。

自分で選択した人生、選択の結果はどうであれ、自分の人生は自分で引き受けていきたいという気持ちでしょうか。物語の続きをいつかまだエッセーにつづってください。
 

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