遊びが大好きなオー。能登からやってきた。一緒に暮らす家族を待っている(撮影/写真映像部・和仁貢介)

「動物たちにも助けが必要だろうと、自分にできることはないか考えました」

 動物福祉の考えはいまほど根付いておらず、熱心な団体の間でも「人ががれきに埋まっているときに、動物を助けると言ったら批判されるのでは」と懸念する空気があった。

米国のペットフードメーカーから支援

 取材用のカメラを持ち、リュックにフードをつめて現地入りした。惨状に衝撃を受けたが、驚きもあった。

「すでに米国のペットフードメーカーから支援物資が届いていました。ペットフードメーカーのテントも立っていた。動きのはやさに驚きました」

 命の重みを、できる人が動くことの大切さをしみじみ考えた。

「このとき、命を救う仕事をライフワークにしようと心が決まったのかもしれません」

 11年の東日本大震災でも被災地に向かった。原発事故で警戒区域に残された動物たちに胸を痛めた。とりわけ、の境遇を思った。

「犬とは違って、猫には捕獲義務がありません。猫の命を見ないふりはしたくなかった」

 自然の中で生きていける猫はまれだ。飼い猫はもちろん、地域猫も人につながって生きている。人がいなくなれば、静かに消えていくだろう。

災害が起これば、動物も被災する

 大災害が起これば、動物も被災する。同行避難が知られるようになり、防災計画を立てる人も増えはしたが、被災すれば、家族同然の動物を手放さざるを得ない状況は起こりうる。能登半島地震が起こったとき、猫たちを「絶対に見捨てない」と決めていた。

 発災から1カ月後に環境省から連絡を受け、被災猫の救援活動を開始した。 以降、今日に至るまで石川県と連携・協働して、いしかわ動物愛護センターに収容された猫たちを引き受け、東京で譲渡する活動を継続している。引き受けるのは、病気やケガがあったり、高齢だったり、人に慣れていなかったりする「譲渡が難しそうな」猫たちだ。

「石川県の動物愛護担当からは、1月から3月にかけてはペットの『一時預かり』の相談が多かったが、4月から7月には『引き取り』の相談が増えたと聞いています。被災直後はペットと一緒に生活再建を目指していても、さまざまな事情で別れを選択せざるを得なくなったのでしょう」

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