TOSHI-LOW (BRAHMAN)/1995年の活動開始以来、パンクシーン/バンドシーンで強烈な存在感を放ち続けるBRAHMANのボーカリスト(撮影/品田裕美)
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 1995年の活動開始以来、パンクシーン/バンドシーンで強烈な存在感を放ち続けるBRAHMANのボーカリスト、TOSHI-LOW。バンド活動と並行し、国内各地の被災地の復興支援を目的としたNPO法人「幡ヶ谷再生大学復興再生部」の代表、さらにキャンプイベント「New Acoustic Camp」を主宰するなど、その活動は多岐にわたっている。

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 BRAHMANが7年ぶりに発表したニューアルバムのタイトル「viraha」は、ヒンディー語で「離れたことで初めて気づく相手の大切さ」という意味。そこにはTOSHI-LOW自身が経験してきた“別れ”も色濃く反映されているようだ。

 バンド結成から30年。50歳になったTOSHI-LOWは今、バンドや社会とどう向き合っているのか。彼自身の言葉で語ってもらった。前・後編のロングインタビューでお届けする。

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今年、結成30周年を迎えたBRAHMAN のTOSHI-LOWさん(撮影/品田裕美)

――BRAHMANは今年、結成30周年を迎えました。激しいライブを続けながら、不動のメンバーで30年間もバンドを続けるのは並大抵ではなかったと思います。

 続けることが目的ではなかったけど、とは言え、短絡的にやってきたわけでもなくて。たとえばライブのギャラが出たときに、「打ち上げで全部使ってしまうんじゃなくて、貯金して車を買おう」みたいなことは続けてきたんだよね。「そんなの知らねえ。俺の取り分をくれ」というメンバーが一人でもいたら続かなかっただろうし、ある程度は計画立ててやれたのかなと。バンドは個と個のぶつかり合いだし、当然、ケンカすることもある。ただ、俺らはバンドをメインにして生きていきたいと思っていたし、揉めても「やめてやるよ」って誰も言わなかったのは良かったと思う。

――1995年と現在では、社会の在り方、音楽シーンの様子も大きく変化しました。

 BRAHMANを始めた頃は、まだ多少バブルの名残があったからね。上京してきた頃、三田のプールでバイトしてたんだけど、そこに乱 一世と荒木師匠が来たことがあって。上京して初めて見た芸能人なんだけど(笑)。その頃は音楽業界のことはよくわかってなかったよね。

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