
耳目を集めてこその社会運動
そもそも全く馴染みも意外性もない概念を一足飛びに世間に問題視させ、ムーブメントを起こすなんてことは、不可能に近い。だから、社会の(現時点の)一般的な認識に合わせて、論点を設定することは、社会運動の火付けとして、肝要なポイントであるのだ。
ところでこの話になると、「子どもの貧困」ということばについて、貧困研究者の阿部彩(あべあや)氏が以前朝日新聞で仰っていたことを想起する。
それまで「貧困」の問題も、提起すれど、その字面に染みついた自己責任論から、多くの人を巻き込み、問題解決のために動かすに至らなかったと言う。そのうえでなお、親が貧しいことでその子どもが窮してる状態を可視化させるためには、「貧困」が醸すスティグマ(否定的な意味付け、レッテル貼り)を活(い)かしながら、問題の所在・対象を切り分けて提示するほかなかったのだと阿部氏は語るのだ。
「貧困を子どもの視点から訴えれば、こうした自己責任論を回避することができる。子どもの問題にフォーカスすることにより、親の労働問題など『貧困の本質が見えなくなる』という批判もありました。しかし、貧困に対してなんとか政策を進めるためには、これしかなかったと今でも思っています」
社会運動にするには、一瞬たじろぐそのワーディングを採用してでも、問題提起として注目を集めないことには話にならない。そのおかげもあって、もちろんすべてが解決するわけではないにしても、この10年で「給付型奨学金」など、一昔前には不可能と思われた施策に漕ぎつけたと言う。千里の社会運動の道も、賢く、地道な一歩から、なのである。