「水になって」と名づけられた曲を聴いた佳織さんは、「こんなことってあるんだ」と驚いた。
曲を届けた「翔ちゃんの執念」
なぜ震災前に、こんな歌詞が書けたのか。
ふたばさんは「能登の景色を見たら浮かんできて……」と戸惑っていたという。佳織さんは、翔太さんがいない絶望の中でこの曲が届いたことに、「なんとか思いを伝えたいという翔ちゃんの執念でしょうね」とほほえむ。
「翔ちゃんは私と一緒になって幸せだったのかなって、ずっと悩んでいました。歌詞にあるように、私が連れ回して輪島に来たせいで、こんなことになったんじゃないかって。でも、二人だから見ることができた世界があると気づいて、救われた気がしました」
ふたばさんは、「この曲を誰かに届けようとする限り、翔太さんの道も終わらない気がする。声が出る限り歌い続けたい」と言ってくれた。
佳織さんは翔太さんを失った直後、「なんで私だけ生き残ってしまったのか」という答えのない問いの中でもがいた。1年経った今も、どうしようもなくふさぎこむ日はある。それでも、自分の心に正直に、せっかくもらった命を意味あるものにしたいと思えるようになった。
「被災者一人ひとりが自分の人生を受け入れて、納得して、前に進むこと。ポジティブという軽い言葉はそぐわない“心の復興”こそが、真の復興なのでしょうね。翔ちゃんの実家に泊まって思い出話で盛り上がったり、ふとしたときに『今いい風が吹いたね』なんて話しかけたり、今までと変わらず翔ちゃんが存在する日常を大切にしたいです」
「水になって」の歌詞は、こんな言葉で締めくくられている。
<僕が死んでいなくなったら二人の冒険思い出して 思い出し笑いでふと涙がこぼれたら それは僕だから>
(AERA dot.編集部・大谷百合絵)