「冬の寒い時期に、車座で酒を飲んでぼやいていた下級役人らは、臭くてシミだらけの衣服の交換や食料のランクアップ、休暇や酒の給付などを要求した書状をしたためます。それは、本邦初めての労働争議資料とも言われており、正倉院にはその汚れてボロボロの衣服や書状が保管されています」(武田さん)
また、武田さんは講義のなかで、ある時代まで日本人の服装には男女の性差がなかった、とも説明した。邪馬台国の時代、女性の王を認めていなかった中国の皇帝は、卑弥呼に金印と共に男性の官僚服を賜与したともされる。邪馬台国では男女が同じ衣服を着ていたため、卑弥呼は自らの権威の象徴とするために、贈られてきた男性の服を違和感なく受け入れただろう、と武田さんは解説した。
さらに講義は、衣服と女性天皇の関係についても進んだ。
「奈良時代にあった東大寺の大仏開眼会では、天皇の冠こそひとり、女性の孝謙天皇の頭上にありましたが、臨席した聖武太上天皇(譲位した天皇。上皇のこと)、光明皇太后も含めて、お三方とも同じ白の礼服です。古代に8代6人の女帝が出現したのは、この男女同形の礼服の存在が大きいと私は思っております、とご説明をいたしました」(武田さん)
この性差のない衣服と女性天皇のくだりは、SNSなどで「愛子さま天皇論」と紐づけられるなどして、ちょっとした話題になった。
しかし、当の武田さんは、あくまで研究としてご説明しただけで意図はない、と首を振る。
「知人から、一部の人たちの間で騒がれていると教えられてびっくりしました」