やりたくないことも、社会人だからやらねばいけないこともある。でも、大学教員は自ら研究テーマを選ぶので基本的にやりたいことをやってきた、と思う(写真/山中蔵人)
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 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2025年1月20日号より。

【写真】幼少期の自宅前で父と

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 若いときからの研究テーマは高齢者の就業・雇用で、プロの研究者としてスタートしたのは1980年に助手になったときだ。このころから高齢化は日本にとって将来の大きな課題となっていた。そして、いまそれは現実の問題となっている。

 具体的には「高齢者が働くか働かないかは、どのような要因によって決まるのか」を、計量経済学的に実証することだ。高齢者の就業行動を数式化し、それを「全国消費実態調査」や「高年齢者就業等実態調査」といった政府統計の個別データを使って計測する。

 最も注目したのは、年金受給資格のある高齢者が働いて収入を得ながら年金を受け取る在職老齢年金制度で、勤労収入が一定額を超えると年金給付額が減らされ、総所得が減少する。これは、就業意欲を阻害する。

 データから、実際に年金の減らされる収入に達する直前に、勤労収入が集中する現象を発見した。理論的に想定される現象を予想通りに検出できて、とてもうれしかった。

 こうした高齢者の就業行動と公的年金に関する研究に、80年代から90年代初めにかけて大学院生から教授になるまで、米国での研究生活も含めて、没頭した。まだ誰も気づいていないことを仮説にして、データで検証していくのは「ちょっと無人の野を行くような感じ」で、わくわくする日々だった。

 その研究を『高齢化社会の労働市場』という著書にまとめて、これで学術賞を取り、博士論文や教授昇格論文にもなった。

徹頭徹尾、機能的につくられた自宅で合理性を尊ぶ精神へ

 1954年4月に都内の病院で生まれ、大田区東雪谷で育った。父・清氏は建築家で、東京工業大学や東京芸術大学などで教えた。専業主婦の母と、姉1人、妹2人の4人きょうだい。同じ敷地に住んでいた祖父・正氏は機械工学者で、東京都立大学などでやはり教鞭を執った。

 父は朝、自分が学校へいくころはまだ寝ていて、夜は家で原稿を書いてもいたが、ぼーっと物を考えていることもあった。それを母は「お父さまはああいうふうに考えているときが、一番、お仕事をなさっているときなのよ」と言っていた。

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