「フェスティバルFUKUSHIMA!」の盆踊りで坂本龍一さん(左)と演奏する大友良英さん(2013年8月15日、福島市) 撮影=地引雄一
「フェスティバルFUKUSHIMA!」の盆踊りで坂本龍一さん(左)と演奏する大友良英さん(2013年8月15日、福島市) 撮影=地引雄一
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 3月28日、音楽家・坂本龍一さんが永眠した。享年71。がんを公表しながら最期まで音楽をつくり続けていた。坂本さんをよく知る音楽家の大友良英さんに聞いた。

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 YMO以降の坂本龍一さんは、録音技術を基本にピアノや電子楽器等、近現代に生まれたテクノロジーの持つ特性を生かすことで自身が接してきた様々な音楽言語をマルチリンガル的に扱うことを可能としたパイオニアだと思います。今現在の音楽のあり方の基礎を作ったと言っても過言じゃない。その背景にあったのは差別のない、極めて真っ当な考え方に根ざした坂本さんの哲学や思想。それが音楽のあり方そのものになっていたからこそ多くの人たちが共感したのではないかと思います。

 坂本さんはある時期以降、有名無名、国籍も音楽ジャンルも超えて、新しい才能や世間的に認知されていない音楽家に対して、評価を惜しまず、大袈裟な形ではなく手を差し伸べてきています。坂本さんのように幅広いジャンルの音楽の真価を理解できる音楽家は、他には本当にいなかった。なによりずば抜けた聴取能力と幅広い知見がそれを可能にしていたと思います。単に音楽的な影響以上に、そうした姿勢が音楽シーンにもたらした影響は思う以上に大きかったのではないかと思います。それは音楽の世界にとどまらず、美術や演劇、映画や社会活動にまで及んでいました。そんなことのできる音楽家は国内外を見ても他にはいず、世界的に稀有な存在でした。

 ラジオ番組「RADIO SAKAMOTO」の代演も務めましたが、音楽はもちろん社会的な活動も含め、坂本さんからの宿題をたくさん出されたような気が勝手にしています。私だけじゃなく、そう感じている人は多いんじゃないかな。
(構成 本誌・小柳暁子)

週刊朝日  2023年4月21日号の記事より抜粋