歌川広重の「東都名所 浅草金竜山年之市群集」。「金龍山」とも「金竜山」とも記され、観音様が現れた際に、一夜にして千株ほどの松が現れ、3日後には金の鱗を持つ龍が展からその松林に下った、という逸話にちなんでいる
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 ちょうど1年前の2024年1月1日、2024年の初詣におススメ!「東京五社」を1日で巡るという記事を配信した。「東京五社」は文字通り東京を代表する5つの神社で、20世紀に入ってから選定された。1社を除いて都心に位置し、その気になれば1日で参拝できる。

 だが、2025年の初詣には、NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」にちなんで、江戸の庶民に愛された社寺を勧めたい。戦のない、平和な世の中になって庶民にも娯楽に興じる余裕が生まれ、江戸中期には空前の旅ブームが起きた。多くの場合、旅の目的地は各地の社寺。お伊勢参りや成田詣で、富士山詣でといった「巡礼コース」が人気だった。

 東京にある108の社寺をさまざまな切り口で紹介する『東京たのしい社寺カタログ』から、蔦屋重三郎が活躍した当時の江戸の活気を体感できるいくつかのスポットを紹介したい。

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武士も庶民も詣でた「浅草寺」
(台東区)

【浅草寺】活気あふれる仲見世通りは、江戸の町の人口が増え、参拝者が一層増えたころ、境内や路上に出店が並び始めたことが起源だとされる

 推古天皇36(628)年、漁師の網に聖観世音菩薩の尊像が現れたことに始まる。山号は観音様の逸話にちなみ「金龍山」で、東京都で最も古いと言われる寺。天安元(857)年に慈覚大師円仁が来山し発展。鎌倉時代には源頼朝が祈願に訪れ、以降も足利尊氏や徳川家康など、権力者の庇護(ひご)を受ける。

 三代将軍・家光が慶安2(1649)年に本堂を再建。江戸時代中期には多くのお堂が建てられ、幅広い願いをかなえる庶民の寺に。夏は最大の功徳日「四万六千日」、年末は「歳の市」「蓑市」に参拝者が押し寄せた。江戸時代後期には一般信者が寺を支えた。

 観音堂北西の「奥山」は、曲独楽(きょくごま)・奇術などが並ぶ文化の発信地で、八代将軍・吉宗も立ち寄ったと言う。現在は本堂西側に「新奥山」があり、芸能関連の石碑が立つ。

 大正12(1923)年の関東大震災では奇跡的に延焼を逃れたが、昭和20(1945)年の東京大空襲では境内が全焼。ご本尊は避難して無事だった。いまも江戸時代と変わらず多くの人が訪れ、東京を代表する観光地と言える。

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「明暦の大火」後に約10万人の無縁仏を供養