白石一文の最新刊『記憶の渚にて』は、タイトルどおり記憶をテーマにした3部構成の長篇小説だ。
物語は、世界的にも著名な日本人作家の不審死とその弟が抱く疑念からはじまる。兄らしくない遺書の内容、遺品から見つかった自分たちの家族の歴史を綴った出鱈目だらけの随筆「ターナーの心」──過剰なまでに聡明だった兄がどうしてこんな文章を書いたのか? さらには、兄の死を電話で知らせるよう指示してきた人物が誰なのかもわからない。かくして、弟は兄の死の真相を探ろうと動きだす。
ちりばめられた謎は調べるほどに新たな謎を生む。新興宗教の歴史もからみ、物語の舞台は兄弟の郷里、東京、筑波、大阪、広島、イギリスへと移動する。壮大なミステリーとしても堪能できる作品であるのは間違いないが、謎解きとともに読者は、記憶と自分の関係について考えさせられるだろう。
たとえば、〈記憶というのは、私の内部に存在するのではなく、私の外部に大きな海のようなものとして広がっているのではないか〉という作中に出てくる仮説に従えば、その渚には、人類や血縁者が脈々と受け継いできた記憶がよこたわっていることになる。そして、海岸に打ちよせた波の一端である私にも海の記憶はまじっているに違いない。
どこかオカルトめいてはいるが、現代科学では解明できていないこの仮説を基調に展開する物語は、だからこそ小説を読む醍醐味を味わわせてくれる。私はこのダイナミックな作品を読んでいる間、何度も亡き両親や愛猫のことを思いだし、自分が今こうしている不思議に感謝した。
※週刊朝日 2016年8月12日号