『ステイション・トゥ・ステイション:ザ・ヒストリー・オブ・ロックンロール・オン・テレヴィジョン』マーク・ウェインガーテン著
『ステイション・トゥ・ステイション:ザ・ヒストリー・オブ・ロックンロール・オン・テレヴィジョン』マーク・ウェインガーテン著

『ステイション・トゥ・ステイション:ザ・ヒストリー・オブ・ロックンロール・オン・テレヴィジョン』マーク・ウェインガーテン著

●第9章 カウチ・タイム・ウィズ・ザ・カウンターカルチャーより

 ボブ・ディランは、スティーヴ・アレン・ショーに出演する数か月前に、エド・サリヴァン・ショーのステージに立ち、全米の視聴者にパフォーマンスを披露することになっていた。
 だが、彼がその時選んだ曲は、人種的不平等を訴える《ザ・ロンサム・デス・オブ・ハッティ・キャロル》のように、政治的に適切なプロテスト・ソングではなく、所属するレコード・レーベル、コロンビアで大論争を巻き起こしていた《トーキン・ジョン・バーチ・パラノイド・ブルース》だった。

 その曲が、反共極右団体として知られるジョン・バーチ・ソサエティをアドルフ・ヒトラーと同列視し、痛烈に揶揄することから、コロンビアは結局、名誉棄損で提訴されることを恐れて、ディランのセカンド・アルバム『ザ・フリーホイーリン・ボブ・ディラン』への収録を拒否する。

 だが、番組のホスト、エド・サリヴァンとプロデューサー、ボブ・プレッチェは、それを問題視しなかった。彼らは、本番の1週間前にディランのその曲を聴いた上で、彼が演奏することに同意した。
 しかしCBSは、それほど寛大ではなかった。
 5月12日のドレス・リハーサルに立ち会い、CBSネットワークの内々の検閲に当たったストー・フェルプスは、裁判沙汰になることを嫌い、ディランに他の曲を歌うよう強く要求した。サリヴァンとプレッチェは、CBSの強要に抵抗したが、フェルプスは、決して譲歩しようとしなかった。

 プレッチェが最終的に、ディランに曲の変更を求めると、ディランは、「その曲を歌えないのなら、何も歌わない」と言い、演奏を拒否した。  
 ディランはその後すぐに、広報担当のビリー・ジェイムズとマネージャーのアルバート・グロスマンを従えて、ステージから立ち去った。言い伝えられるところによれば、ディランはその夜、スタジオで腹立ちまぎれに、“ろくでもない奴ら”をぼそぼそと罵倒していたという。

 新聞の論評は押しなべて、ディランを擁護するものだった。著名なコラムニスト、ハリエット・ヴァン・ホーンは、CBSの「柔軟性がなく狭量な視点」を批判し、《トーキン・ジョン・バーチ・パラノイド・ブルース》は、「卑猥な歌でもなければ、中傷的な趣旨でもない」と評した。
 そして、「それは、政治的に無知な一団を嘲笑したに過ぎない。彼らはすでに、この国に害悪をもたらしている。すなわち、教育現場における自由な探求心を脅かし、聖職者を誹謗し、多くの若者の心を最悪の形で蝕んでいるのである」と論じた。
 ディランは,連邦通信委員会(各州間のラジオやテレビの通信または放送の統制に当たる機関)に、公的な調査を求めて,書簡を送った。だが、その話はやがて、有耶無耶のうちに消えていった。

「私もエドも、ディランを支持したんだ」とプレッチェが言う。「私は本当に、彼に出演してもらいたかった。ずっと前から、彼をヴィレッジで見ていたんだよ。私たちは、彼を後押ししたが、局に抑えこまれたんだ。そういうことは、一度や二度じゃなかった」
 ディランはその後、決してエド・サリヴァン・ショーに出演しなかった。

 プレッチェとサリヴァンは1963年に、そうしてディランに理解を示せたものの、60年代が経過するにつれて、ロック・バンドは、反体制的なメッセージを主題とし、セックスやドラッグに関しても、フランクに表現するようになった。したがって、エド・サリヴァン・ショーのブレーンは、きわめてわずかな倫理規定からの逸脱にも、神経を尖らせた。

 ローリング・ストーンズは1967年1月に、エド・サリヴァン・ショーに出演した。だが、彼らはその時、《レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー(夜をぶっとばせ)》の “ザ・ナイト” を、”サム・タイム” に変え、《レッツ・スペンド・サム・タイム・トゥゲザー》とするよう求められた。
 ストーンズは不本意ながらも、歌詞の変更を受け入れたが、ミック・ジャガーは、そのラインを歌う間、あざけるように目を白黒させた。
「私が歌詞を変えたんだ。当時は、セックスを連想させる表現が最大のタブーだった」と、番組の音楽コーディネイター、ボブ・アーサーが語る。

 ジャガーは1968年に、ローリング・ストーン誌のインタヴューを受け、決してその修正されたラインを電波で流していないと主張した。
「俺は絶対に、“ time”と言わなかった。実際、歌っていない。俺は、“Let’s spend some mmmmmm together” と、適当に流したのさ」。

『Station To Station:The History Of Rock ’n’ Roll On Television』By Marc Weingarten
訳:中山啓子
[次回9/5(月)更新予定]