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貯金と借金で200万円を超す費用を集めて24歳でピースボートに乗り、世界一周の船旅に出た。
これが転機になった。世界の文化や社会課題を学ぶ講座、語学教室、映画上映。何時に寝起きし、どれに参加しても自由な環境に戸惑いつつ、学びを深めていった。3カ月の船上生活で最大の出来事は、パレスチナ自治区ガザから講演に招かれた当時30歳のザヘル・サビーハ(51)との出会いだ。
講演を聴き、かつてパレスチナ人親子がイスラエル軍の銃撃で殺されるニュースを見て胸が苦しくなり、父親に「なんで殺されなきゃいけないの?」と聞いたことを思い出した。当時は父親の「仕方ないんだよ」という答えを前に心にふたをしたが、講演後、安彦は「とても危険な場所に暮らしていて逃げ出したくなりませんか」と尋ねた。すると、「僕は家族のそばが一番安心できる。いつでもガザに帰りたい」との答えが返ってきた。
片言の英語で話す自分に優しく接してくれる姿に「紛争地の人は怒りと憎しみでいっぱいだろう」と思い込んでいた自分を恥じた。彼らにも自分と同じように日常があり、愛する家族がいる。「知らないということ自体が、世界の問題が解決に向かわないことに加担している」と考え始めた。
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下船後にピースボートに就職。28歳で広島に赴任し、平和記念資料館を運営する広島平和文化センター理事長だったスティーブン・リーパー(77)と出会う。将来の核廃絶に向けた「核軍縮」の視点を学び、「世界へメッセージを発信できる広島の役割は大きい」と教わって「核問題は被爆者だけが取り組む問題じゃない」と理解した。30歳で退職後、職を転々としつつ核廃絶運動にのめりこむ。核不拡散条約(NPT)に核廃絶の文言を加えるための「ヒロシマ・ナガサキ議定書」への賛同を全国の首長に求めるキャンペーンの事務局長を務め、渡米して2010年のNPT再検討会議に参加した。リーパーらと核兵器を考えるアートブックを作り、若手アーティストらと平和イベントを重ねた。
巻き込む力と場をつくる力 「で、君はどう考えるの?」
だが、37歳で次に決まっていた仕事がキャンセルになると、その流れがはたと止まった。貯金はわずか20万円。「年齢的にも新たな仕事は見つけにくい」と腹を決め、SNSでハチドリ舎の構想を投稿。信用金庫からの借り入れやクラウドファンディングで約1千万円を集めた。DIYの得意な元自衛官、経営のこつを知る飲食店主、木工教室の講師……友人らは前を向いて突き進む安彦に自然と伴走し、知恵や技術を提供した。雀荘だった古い物件を改装し、半年で開店にこぎつけた。
そこから7年、2800を超すイベントを開いてきた。
(文中敬称略)(文・宮崎亮)
※記事の続きはAERA 2024年12月9日号でご覧いただけます
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