サイレンススズカは97年のクラシックでは結果を出せなかったが、翌98年から快進撃を開始。驚異のスピードで他馬を寄せ付けない圧巻の逃げで連勝街道を驀進し、7月には宝塚記念でG1初制覇を果たす。秋初戦の毎日王冠ではひとつ年下のエルコンドルパサー、グラスワンダーらを退けて6連勝。そして11月1日の天皇賞(秋)を1番人気で迎え、1番枠から好スタートを切った。

 超ハイペースで飛ばすサイレンスズカは独走し、勝利は間違いなしと誰もが思った4コーナー手前。サイレンススズカは突如失速し、コーナーで外側へと流れていった。左前脚の手根骨粉砕骨折。希代の逃亡者は誰の手も届かない場所へ永遠に逃げ去ってしまった。

 余談だが、人気ゲーム「ウマ娘」がアニメ化された際にサイレンススズカが天皇賞(秋)へ出走する展開になったとき、実際のサイレンススズカのラストランから20年近く経っていたにも関わらず、この事実を知る競馬ファンでネット上は騒然としていた。それほどサイレンススズカの悲劇は現在のファンの間でも忘れられない記憶として残っていた証なのだろう。

 競馬ではしばしば「未完の大器」と呼ばれる馬が出現する。新馬戦などを圧勝してG1候補となるのがその典型だが、そうした馬のほとんどは大成することなく終わってしまうもの(だからこそ未完の大器なのだが)。それが結果的に期待されたほど伸びなかったゆえなら仕方ないとも言えるが、思わぬ故障によって大成を阻まれてしまったケースも数多い。

 一時代を築く可能性もあった快速馬ケイエスミラクルもそうした馬の一頭だ。血統的には超マイナーなスタッツブラックホーク産駒の外国産馬で、生まれつき体質も弱かったケイエスミラクルだが、91年にデビューすると2戦目の芝1400メートル戦を8馬身差で圧勝。その年の6月には札幌競馬場での芝1200メートル戦をレコード勝ちし、続くレースも9馬身差で連勝する。

 秋初戦で重賞初挑戦だった9月のセントウルステークスこそ13着と大敗したが、10月のオパールステークスでは京都1200メートルでまたしてもレコード勝ち。そしてスワンステークスでは年上のダイイチルビー、ヤマニングローバル、バンブーメモリー、ダイタクヘリオスらを相手にまたもレコード勝ちで重賞初制覇を果たした。

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