――ブランドですね。あの有名な篠山さんが撮るんだよ、と。

篠山:そういうこともあって、70年代にはテレビに出たりもしていましたね。それと、もう一つ変わったのはどこで撮るか。昔は外でヌードを撮っていても警察なんかぜんぜん来なかった。銀座の道の真ん中に寝転がってもらって撮りましたから。「アサヒカメラ」に「怪談」というタイトルで発表したソラリゼーションの写真です。いまは「PHANTOM」というタイトルにしているけど。ですから、警察が来たのは『20XXTokyo』(2009年)が最初ですよ。

――10年1月、霊園などでのヌード撮影について、礼拝所不敬と公然わいせつの疑いで書類送検された事件ですね(略式起訴。罰金30万円の略式命令)。市民からの通報があって警察が動いたということですから、社会の価値観の変化を感じます。

篠山:ヌードと社会との間にはかならず軋轢(あつれき)が生まれるんですよ。でも、そこがヌード表現の面白いところなんです。表現は、無制限になんでもいいですよ、なんてことはないですから。そのときそのときに生きている人が新たな表現を考えればいいんです。

――その時代、時代に新しい表現が生まれてくる。ヌード表現もまだまだ新しい表現が生まれるかもしれない。

篠山:なぜヌードなんだ、という最初の問いに戻りますけど、最新の服を着せたほうが時代を表現しているじゃないかという人もいますよ。でも僕に言わせればそれは服の写真なんです。ぜんぶ脱いでもらったほうが人間と時代の関係、写真家の意図がはっきりすると思いますね。それもピュアなかたちで。なぜなら、ヌードは人が見たいと思うイメージ、欲望を満たすものなんです。だからやっぱり僕は撮る。

(インタビュー/写真部・長谷川唯、構成/写真評論家・タカザワケンジ

※『アサヒカメラ』2016年7月号より