他にも川上未映子『夏物語』や川上弘美『センセイの鞄』がロングセラーとなり、小川洋子『密やかな結晶』は、国際ブッカー賞の最終候補に残っている。
「この30年ほど、日本の作家で『ニューヨーカー』に掲載されるのは村上春樹だけでした。ところが最近は小川洋子や川上弘美の短編が掲載されています。興味深いのは昔の作品が最新のものとして載るところですね。昔はどんな作品が日本で書かれているか知るためのルートが限られていたので、一握りの作家しか紹介されませんでした。今はいわゆる純文学作品ばかりでなく、三浦しをんなど作家性のあるエンターテインメント作品も読まれ始めています」
太宰や芥川の作品も
辛島さんが『文芸ピープル』の取材をしていた2020年には、すでに日本の女性作家による小説の英訳が毎月のように刊行されていた。中島京子、柴崎友香、津村記久子、本谷有希子、松田青子──といった作家たちの作品が次々に英訳され、読者を得ていたのだ。
「翻訳文学を読む理由のひとつは、自国の作家が書いていない世界にアクセスしたいから。ここ10年についていえば、個々の作品の力もあり、圧倒的に日本の女性作家が注目されています。最近は太宰治や芥川龍之介の作品も再び注目されているんですよ。太宰の『人間失格』はミリオンセラーになりました」
文学作品において「ピラミッド型の構造は崩れつつある」と、辛島さん。
「一つの言語で書かれた物語が、小さな輪から始まって、翻訳を通してだんだんと広がってゆく感じです。様々な言語に翻訳されると、作家も文芸フェスティバルに招待されるなど、新しい出会いにつながります。個々の輪が広がることで、文化圏を超えた読者を得ています」
言語を超える物語
『韓国文学の中心にあるもの』などの著書でも知られる翻訳家・斎藤真理子さんは、韓国文学を日本で広めた立役者でもある。斎藤さんはハン・ガンさんのノーベル文学賞受賞について、こんなふうに書いている。
「作家は決して国籍や出生地に縛られない。しかし現代のさまざまな『生きられなさ』を追ってきた作家が、生まれた土地に蓄積された無念の死、封じられた声へ接近したのは必然だったろう。それを韓国一国でなく人類の経験として書ききったところに、今回の授賞意義があると思う」(朝日新聞、10月17日付朝刊)
ひとつの言語で書いた小説が、別の言語に翻訳され、世界の物語になってゆくこと。
その可能性について、あらためて教えてくれた今年のノーベル文学賞だった。(ライター・矢内裕子)
※AERA 2024年11月11日号