見渡す限りの青、青、青。ロサンゼルスの街がこの一色で埋め尽くされた。大谷翔平選手が所属するロサンゼルス・ドジャースの優勝パレードに集結した25万人以上のファンたちのうち、生粋のLAっ子たちが語る優勝の意味とは? 在米ジャーナリストが現地からリポートする。

【写真】「長いファン人生の中で、今が最高潮に幸せ」と語る現地のファン

ロサンゼルス・ドジャースのワールドシリーズ優勝パレードに集まった群衆=2024年11月1日(現地時間)、米・カリフォルニア州ロサンゼルス(撮影:長野美穂)
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「長いファン人生の中で、今が最高潮に幸せ。私たちは、生涯ずっとドジャース一筋だから」。

 そう語るのは、マイケル・ヘルナンデスさん(67)と、妻のブランカさん(66)だ。

 ロサンゼルス市内のメキシコ系住民が多いボイルハイツ地区で生まれ育ったふたりは共に「よちよち歩きの頃から親にドジャースの試合に連れて行かれた」記憶を持つ。同じ高校で出会って恋に落ち、結婚して46年。今では4人の孫たちのために買ったドジャース・ハローキティTシャツが家に溢れている。

 大谷翔平選手のジャージを着たブランカさんは「大谷は謙虚だから好き」と言う。マイケルさんは「肩の怪我で、大谷は決してベストな状態ではなかった。でも、彼がバッターボックスに立つだけで、ヤンキースを萎縮させる効果があった」と語る。ヤンキースに対して常に得体の知れない怖さを感じてきたブランカさんは、敵地のニューヨークでドジャースが勝利を決めたことを喜んだ。LAファンの中には5戦目は負けて、地元LAで行われる第6戦で優勝して欲しいという声もあったが、マイケルさんは「とんでもない。一刻も早く勝たなきゃ。たとえ自分が第6戦や第7戦のチケットを持っていたとしても、それが無駄になる方がずっと嬉しいよ」。

マイケル・ヘルナンデスさん、妻のブランカさん、そして孫のリバー君。全員がドジャースファン=2024年11月1日(現地時間)、米・カリフォルニア州ロサンゼルス(撮影:長野美穂)

 ふたりがここまでヤンキースを警戒するのは、これまでワールドシリーズで煮え湯を飲まされてきた経験があるからだ。1977年と78年にヤンキースに破れたドジャースは、81年に再びリベンジに挑んだが、最初の2試合で早くも黒星。「あの時は、怖くてまともに息ができなかった」とマイケルさんは20代だった当時を思い出す。だがその後の4試合をドジャースが勝ち進み、優勝をもぎ取った。その時に「人生でどんなに追い込まれても、絶対に諦めない」という教訓を胸に刻んだのだという。

 今回の第1戦で、足首の負傷を押して出場したフレディ・フリーマンが、逆転サヨナラ満塁ホームランを放った時、マイケルさんの脳裏には、88年のワールドシリーズで脚を負傷して満身創痍だったカーク・ギブソンが打ったサヨナラ2ランが浮かんだ。「ああ似てるなって」。勝つために選手が気力を振り絞り、球場が恍惚感で満たされる瞬間。それが36年後に、再び蘇った。

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