カナダに留学前に書いた光浦さんのエッセイ本『50歳になりまして』には、老後についてのこんな記述がある。
「今のうちに後半の人生のレールを敷いておかなきゃいけないと思ったんです。(中略)18歳まで親が私にしてくれたことを私にしてやる感じ? 子育てならぬ、おばあちゃん育てです」
収入は途絶えるが、貯金もあり、まだまだ新しいことに挑戦できる体力も気力もある。自分の性格、得意なこと、苦手なことも痛いほどわかった上で、今、自分に必要な経験とは何か。留学は、人生を俯瞰できる年齢になったからこその決断だった。
最初は芸能界に戻れるか不安もあったが、それは「カナダ行きの飛行機の間くらい」と笑う。
「留学の年はコロナ禍だったこともあり、隔離がなかなか解除されないことから始まって、大変なことがどんどん起きるんです。しかも言葉が喋れないからすごく大変で。毎日新しいことだらけで、おかげで過去を思い出すことがなかったですね」
肩書でなく繋がる喜び
自分のことを誰も知らない環境に身を置いたことも光浦さんの気持ちを楽にした。言葉や肩書ではなく人と繋がることができる喜び。国も年代も違う人たちとの出会いは、あらためて、人間の魅力とは何かを実感する日々だったという。
「過去の自分は結構できた自分だったと思うんですよ。母国語だから言葉は喋れて、ある程度の地位まで築いたし、お金も稼いできた。だけど、新世界の自分は、まず言葉が喋れない、コンピューターが使えない、車も運転できない。レベル10で言うと1か2のレベル。でもこの年でゼロ点を経験できたことは本当に良かったと思うんです。あとはそこから上っていくだけですから。加点法です。目標5。5いけたら万々歳」
「カナダの方が生きやすいですか?」との問いには、大きく頷く。人の目を意識しないでよくなったことが一番大きいが、その人自身の生き方を認め、尊重する社会のあり方が合っていた。