替え歌は「やったらアカンこと」に
繰り返しになりますけど、権利意識が強くなって守られるべきものが守られる。これはいいことなんですけど、そのギリギリのラインというか、そのあたりで暴れていた者からすると、きれいに整備されることによって使える技がグッと減った。これも事実なんです。ゆるく見てもらってきたツケが一気にまわってきたといいますか……。
正直、替え歌は消え行く芸だと思います。今の時代で言うと、既に“やったらアカンこと”の範疇にあるのかもしれません。
続けてきたからこそ、時代の変化をダイレクトに感じることになりましたけど、逆に、続けてきたからこそ、ありがたい経験をすることもありました。
3カ月ほど前ですかね、芸人の後輩がロックバンド「マキシマムザホルモン」のマキシマムザ亮君と一緒にカラオケに行くので行きませんかと言ってくれまして。そこで、亮君が僕の“あるある”を聞きたいと言ってくれたんです。
もともと先輩に喜んでもらいたいから始めた身内のノリですし、芸としてもやらせてもらってきましたけど、そこまで求められるものではないのかなと思うところもあったんですけど、求めてくれる人がいる。しかも、音楽の世界でしっかりと自分の城を築いている人が求めてくれる。この感覚が純粋にうれしかったですし、新鮮でもあったんです。
さらに、作家の俵万智先生から、ありがたいお言葉も頂戴しました。
「RGさんの“あるある”は道端の小石一つ一つに名前を付けていくのと同じ。本当にすばらしいことだと思っています。そして“あるある”の最後に必ず『〇〇しがち』という決まった言葉があって、形式としての土台がしっかりしている。だから、その上を変えることでいろいろな可能性も生まれる。ずっとお続けになってくださいね」
本当にまさかの言葉だったんですけど、やり続けたからこそいただけたものですし、やり続ければ何かにつながる。それを俵万智先生の言葉から痛感しました。
先輩を喜ばせるためにやっていたことが、一つの形になった。最初、そんなトーンで始まったのに、そこでやり続ければ何かの道が見える。そして、時代の流れによってやりにくくなっても道を探せばライフワークにもなる。自分が作った“あるある”ですけど、それに学びを得ています。
そんな中、今年で50歳になりました。年齢を感じるというか、感じざるを得ないというか、ここ最近、自分の周りで50代の方が立て続けに亡くなったんです。元気だった方がいきなり亡くなる。いなくなってしまう。自分も50代に入り、唐突にそんな流れが来るかもしれない。人間いつ死ぬか分からない。何度も口にしてきたことですし、頭では理解していたことだったんですけど、それを心で感じたというか。やれること、やりたいことは全部やりにかかる。ある種の使命というか。その重みをストレートに感じたんです。