その頃、一年じゅう長袖の上着を着続け、左手を隠すことにも苦心した。
「中高時代は、父の不在と手のことと。頭の中の99%が劣等感で覆われていました」
その劣等感が、「女らしさ」への執着に結びつく。
巻き髪は定番で、「夜会巻き」をして登校したこともある。高校時代は香水もつけていた。同級生の柴田遥(29)は、「和子は中1の頃から大人びていた」と話す。福田はこう振り返る。
「父がいないこともあり、級友とは同じ土俵でしゃべれなかった。女子校で異性の目を気にしない校風だったから、『私は逆に、女っぽくなろう。女らしくすることを頑張れば、土俵に上がれるかもしれないな』って、うっすら思ってました」
育った土地柄もある。日本屈指の歓楽街である新宿・歌舞伎町は、家から徒歩圏内。学校の通学路だった。通りにスカウトが立つ。女性を値踏みするような男性の目。若いほど価値があるとか、色っぽい女がいいとか、外側から価値観を刷り込まれることで、男性が望む女らしさの“枠”に自分を押し込めていた時期もあった。
「“枠”に縛られていると、『いい女』のつもりが『無力な女』みたいな感じになっちゃってしんどい。揺れ動く気持ちはいつもありました」
吉原遊廓の勉強を始め 「紡ぎ語り」で跡地巡りも
中3の時、現代社会のレポート課題で「『強い』とされる女性の共通点」を題材に選ぶ。クレオパトラ、信長の妹・お市の方、マーガレット・サッチャーなど約10人を調べた。
「“女の枠”があったとしても自分の意思で強く生きていけると、歴史上の人物に励まされた」
15歳にしては大人っぽいテーマだ。原稿用紙に50枚びっしり書くと、担当した教員は「すごい!30冊は読まないとこれは書けない」と舌を巻いた。
国際基督教大学(ICU)に入学すると、探究の対象が「遊廓の女性」に移る。
ある時テレビニュースで、花魁(おいらん)の着物を成人式で着る女子大生の姿が映っていて、母が、「ハレの日なのに、なぜその衣装?」と呟(つぶや)いた。福田はその言い方に引っかかりを感じ、「花魁」をネットで引く。吉原遊廓で最高位の遊女だったと知る。その時、パソコンの画面に出てきた写真を見て、ドキリとした。格子の窓越しに並ぶ着物姿の遊女たちが、一様に虚(うつ)ろな表情をしていたのだ。
この顔にさせたものは、何だろう──。