始皇帝陵は二重の城壁に囲まれており、西側の内城と外城の間に六一もの陪葬墓がある。そこはだれも埋葬していない空墓であるらしい。さらに外城の西には大型の陪葬墓があり、東西に整然と並んでいる。近年一部の発掘が進められ、本書で述べてきた始皇帝の近臣たちの墓ではないかと考えている。墓の構造からして、かなり身分の高い人物の墓である。

 始皇帝に最後まで仕え、二世皇帝の治世まで高位にあって失脚していない人物は少ない。趙高も李斯を死罪に追いやったが、秦王子嬰に刺殺された。王賁の子の王離は項羽に捕らえられて降伏した。

 始皇帝の巡行に同行し、琅邪台刻石に名前を刻んだ高官一一名のなかで、王離、李斯を除く九人は、最後まで政治的にも無事生きながらえた可能性がある。

 王賁(王翦の子)、趙亥(ちょうがい)、成、馮毋択(ふうぶたく)、隗状(かいじょう)、王綰(おうわん)、王戊(おうぼ)、趙嬰(ちょうえい)、楊樛(ようきゅう)らであり、高爵、高官のかれらがこの陪葬墓の被葬者であるかもしれない。一号墓は隗状、王綰の丞相クラスの高官の墓かもしれない。

 陪葬墓というのは殉葬ではないので、始皇帝の生存中にその者が亡くなったときにはその時点で埋葬される。始皇帝の死後、二世皇帝の時代には埋葬される余裕はなかっただろう。大型陪葬墓の真相の解明は、今後の発掘に待たれる。

《朝日新書『始皇帝の戦争と将軍たち』では、魏・韓・斉など「六国」を滅ぼすまでの経緯を解説。羌瘣(きょうかい)や王賁(おうほん)や李牧(りぼく)など、将軍たちの史実における活躍も詳述している》

始皇帝の戦争と将軍たち 秦の中華統一を支えた近臣軍団 (朝日新書)
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