(撮影/写真映像部・上田泰世)

――仕事で、夜遅くなることもある。どうしていたのですか。

木村:割り切りですね。人の手を借りることにしました。親への出動要請に加え、シッターさんを育休中に探しました。安全面だけは親の務めだと思って、事前に何人か面接してお願いする方を決めました。お願いするからには、口は出さない方針でした。命にかかわることは困りますが、着替えとか、お風呂の入れ方とかお任せしますと。細かいことが気になってしまっては預けられなくなるので、預ける方には好みもやり方も全てお任せすることにしました。

 お願いするには実際、お金もかかりました。でも一生ではないので、この期間だけはかかって仕方がないと割り切りました。年齢が上がってくると、子ども自身ができることが増えてくるので、かかっていたものをいろいろ外していきました。仕事と似ていますね。アーティストの時系列を考える時も状況によって色んなものを変えていくし、不測の事態の発生はしょっちゅうです。子育ての時間のやりくりは、スケジュールを管理する担当アーティストが一人増えた感覚でした。

 全部やろうとはしなかったですね。保育園や学校の行事もすべては行けないけれども、5回のうち2回は行くけど、3回はごめん。都合のいい自分ルールを子どもに押し付けてきましたね(笑)。

 年齢を重ねて「自分はこうしたい」が20代の頃よりは固まっていたからできたんですね。もちろんこれはあくまで私の場合ですので、いま育児との両立を考える後輩に対しては、その人が両立しやすいような形をサポートしてあげたいと思っています。

――育児中にがんの闘病も経験されています。乳がんが発覚したのは43歳の時で、お子さんは4歳でした。

木村:会社の人間ドックで見つかりました。摘出手術をし、術後の検査でリンパ節に転移している可能性があるとのことで抗がん剤による治療も提案されました。ここは迷いなく治療を受けました。髪の毛が抜けるのはわかっていましたが、また生えてくるだろうと気持ちを切り替えて覚悟を決めましたね。

 幸いなことに、仕事を続けながら抗がん剤の治療をすることができました。仕事があったから気が紛れていた部分が大きかったと思います。

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