聞き手は編集長の鎌田倫子が務めた。(撮影/写真映像部・上田泰世)

――病気をしてから、ワークライフバランスは変わりましたか。

木村:治療の最中は、髪の毛が抜けて体調も万全ではなかったから、そのときは外に営業しにいくエネルギーが欠如していました。振り返ると、やれていたのは最低限だった……。「もう自分は使い物にならないのかな」とモヤモヤした記憶があります。

 最低限の仕事だけで、プラスαができていなかったから、当時、きっと上司にも仲間にも迷惑をかけていたんだと思います。でも、どこかで割り切ったんです。責任をもってやるという気持ちを失ったら仕事はできなくなってしまうのでそこは忘れず、自分なりにできることを全身全霊でやろうと。病気になっても最終的に戻った先に仕事があり、働けていたことに感謝です。

――そういう経験をへて、社長という役職に就かれています。やりがいとか、下の世代に伝えたいことはありますか。

 人生の中でこの立場を務めさせていただけることはポジティブに考えていますが、やりがいということをお話するにはまだ……。

 でも、もし、ポジションを打診されて迷っている人がいたら、私でもやり始められているから、大丈夫、やってみようよといいたいです。やってみてダメだったら、うん、その時に考えよう、ですね。

――最後にキャリアの記録がつまった「手帳」をみせていただくことはできますか。

(撮影/写真映像部・上田泰世)

木村:ずっと同じものを使っています。お気に入りの高橋書店さんの手帳です。その年のラッキーカラーが多いですね。見返すことは全くないのですが、全部捨てずにとっておいて会社の引き出しに並べています。何ていうのかな、お守りのような感じがしています。

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