長女も、今まさに「18歳の壁」にぶつかっています。この笑顔が続くことを願っています(写真/江利川さん提供)
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「インクルーシブ」「インクルージョン」という言葉を知っていますか? 障害や多様性を排除するのではなく、「共生していく」という意味です。自身も障害のある子どもを持ち、滞在先のハワイでインクルーシブ教育に出合った江利川ちひろさんが、インクルーシブ教育の大切さや日本での課題を伝えます。

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 私はソーシャルワーカーとして働く一方、学生でもあります。大学院の社会福祉学専攻で、医療的ケア児と家族支援について研究しています。現在は、夏前に行ったアンケート調査の分析を進めており、年明けに論文として発表する予定です。今回はこの研究について書いてみようと思います。

「母」の発信は説得力に欠け

 大学院に入ったのは45歳のときでした。

 2011年に足が不自由な息子の幼稚園が見つからずにハワイへ行った経験から、同じように悩む脳性まひの子どもとパパママの会(現・NPO法人かるがもCPキッズ)をつくって活動し、ブログ等でさまざまな発信をしてきましたが、私の発信は「母」の色が濃く、説得力に欠けているような気がしていました。また、発信をする上で個人の経験に基づいた発信ではなく、勉強して専門的な知識も得たうえで発信したいと思って、通信で社会福祉を学べる大学に入学し、社会福祉士の資格をとりました。そして、リアルでももっと学びたいと思い、別の大学の大学院を受験しました。

 大学院に入って最初に書いた研究計画書は、医療的ケア児の支援ではなくインクルーシブ教育に関するものでした。息子が2歳の頃からずっと願っていた「障害があっても学ぶ力のある子どもたちがしっかりとした教育を受けること」について、多面的な角度から見て重要性を訴えようと思っていました。入試の面接でもこのことを力説したと思います。でも、私が一番困っていた時からすでに10年以上が経っていて、公立小学校のインクルージョンはかなり進み、時代の変化を感じました。ただ、医療的ケアがあるとまったく別の話になってしまうのです。

 ちょうど医療的ケア児支援法(医療的ケア児及びその家族に対する支援に関する法律)が注目され始めた頃であり、施行後に医療的ケア児の学校生活や家族の関わり方がどのように変化していくのかを追いたいと思いました。そこで研究計画書をインクルーシブ教育からガラリと替え、完成したのは「医療的ケア児(者)を育てる家族の負担感に関する研究」でした。

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江利川ちひろ

江利川ちひろ

江利川ちひろ(えりかわ・ちひろ)/1975年生まれ。NPO法人かるがもCPキッズ(脳性まひの子どもとパパママの会)代表理事、ソーシャルワーカー。双子の姉妹と年子の弟の母。長女は重症心身障害児、長男は軽度肢体不自由児。2011年、長男を米国ハワイ州のプリスクールへ入園させたことがきっかけでインクルーシブ教育と家族支援の重要性を知り、大学でソーシャルワーク(社会福祉学)を学ぶ。

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