頭のなかにはつねに「言葉」が飛び交っている。だが、旅に出るようになり少し変わった。「知らない街に行き、見たこともないものを見渡すと、必要以上に考えることがなくなります」(撮影/写真映像部 東川哲也)
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 約7年半ぶりとなる星野源さんのエッセイ集『いのちの車窓から 2』が刊行された。「心がピタッと凪いだ状態」から書き始めたという、特別な一冊だ。AERA 2024年10月7日号より。

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――収められているエピソードは、2016年末〜24年までに起こった出来事がベースとなっている。どのエッセイも、まるで星野さんの“思考の旅”に並走したような感覚があり、ラストまですっと身体に入ってくる。

星野:今回のエッセイ集には、「こんな話を書こう」と思って書いたものはほとんどないんです。ぱっと思いついたことから書き始めたら自然とこうなった、ということが多く、その過程で「ここはいらないな」と思えば消していく、そんな作業を繰り返していた気がします。書いているうちになんとなく自分の心の押し入れを開けてしまって、そこから広がっていく。そんなことが多かったです。

 最後にポン!とオチのある話を書けたときは自分でも面白くて。なんですかね、操縦しにくい車で運転していたら思いもしなかったいい場所にたどり着けたような。途中で方向が変わったり、進む道が深まったりしながらオチが見つかった瞬間は、僕にとっても楽しい時間でした。なので、読んでいる方と同じような感覚を持ちながら書き進めていた気がします。

書くことで残したい

――既出の連載原稿を『いのちの車窓から 2』として刊行するにあたり、新たに4篇を書き下ろした。そこには、忘れられない瞬間、忘れられない存在について綴られている。

星野:書き下ろしの一つ、「東榮一という人」は、「東さんのことを残したい」という明確な気持ちとともに書き始めました。2年以上も前に亡くなってしまった、音楽活動の初期から音源制作ディレクターを務めてくださった方で、すごくお世話になった方です。エッセイを連載していたときは戸惑いもあり、心が揺れてしまってきちんと書くことができなかった。あまり表に出たがらない、縁の下の力持ちのような方で、だからこそ「書くことで残していきたい」という気持ちがありました。

 全体を通して気をつけていたのは、「感情や感想を細かく描きすぎない」こと。「悲しかった」もしくは「感動した」と書いても、単に“情報”として伝わるだけで、どう悲しく、どう感動したのかは、書けば書くほど説明的になってしまう。それよりも、読み手の方には文字を通して自分が体験した事象に出合ってほしい。そうすればきっと、自分がハッとしたことやそのときの感触を、読み手の方も感じてくれる。今回はとくに、自分の感情は省くよう意識していました。

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「鬼型人間になる」