“ゾーン”に入った感覚
――エッセイを書く際は、いわゆる「読者」をどのように想像しながら書いているのだろう。
星野:あまり読み手を意識していない、というか、できていないというのが正直なところです。たとえば、自分が「苦しかった」という話も、自分のなかでは決着がつき、客観的に見られるようになってから書いている。“出口”はあり、僕はもうそこから抜け出すことができている、「だからファンのみんな、安心してね」という意味での読み手への意識はもちろんあります。そうでない方々に、どう読んでもらえるのかはちょっとわかりません。ですが、僕が出合った素敵な瞬間を体験してもらえたら、きっとその人は何かを感じとってくれる。「ネタを面白く書くぞ」というよりは、心の機微や感触を、感情や主張を加えずに描くという姿勢を大切にしました。
――映像が目に浮かぶような描写と、躍動感のある文体。とくに最終話「いのちの車窓から」には圧倒された。畳み掛けるように言葉があふれ、加速度が増していく。そんな筆致だった。
星野:最終話は、まさに“ゾーン”に入っているような感覚でした。今回のエッセイ集は、心を穏やかな状態にして書き始めることが多かったんです。波風がピタッとおさまり、静かな状態から書き始め、パーッと話が動き出す。書き下ろしである最終話は、とくにその感覚が強かったです。
日頃からものすごく不思議な気持ちになる時があり、それを僕は“例の気分”と表現していますが、それについて書き始めたら普段から自分が考えていることが勢いよく集まってきて、「いのちの車窓から」という言葉そのものやこれまで経験してきたことが重ね合わさり、一気に書いていった記憶があります。
小鳥がチュンチュンと鳴く穏やかな朝に書いていたのですが、パソコンに向かう自分は目を見開き、どこからどう見ても集中していて、思考がどんどん言語化されていく感じが面白かった。
僕は「文章がうまくなりたい」という思いから20代で文章を書き始めましたが、寄り道もいっぱいしてきた気がします。「あのエッセイが好きだから、あんなふうに書きたい」と思っていた時期もあれば、一般的に「くだらない」と思われることを哲学的に書いてみたい、という時期もあった。
そして、心がピタッと凪いだ状態から書き始めたら何が書けるのだろう、という考えに行き着き、書き始めたのが『いのちの車窓から 2』に収められたエッセイであり、最終話ではその極致みたいな場所にたどり着くことができた。すごく面白い経験であり、自分でも素直に「良かったな」と感じています。
(構成/ライター・古谷ゆう子)
※AERA 2024年10月7日号