NHKアナウンサー時代の武内陶子さん(本人提供)

「そんなにしゃべるんですね?」と驚かれる

 NHKアナ生活33年。初任地は松山放送局、次に大阪放送局を経て東京へ。「おはよう日本」「スタジオパークからこんにちは」「連続クイズ ホールドオン!」とかのキャスター・司会者、紅白の総合司会もやらせていただきました。とにかく報道からスポーツ、エンタメ、ラジオまで、いろいろな番組を担当しました。

 局アナって、テレビに出ることが多いせいか、そこにいるだけでみなさんから「すごーい!」「やっぱ、キレイなんですねー」「頭いいよねー」とか、いろいろに褒めてもらえるんです。いや、これはかなり幻想ですが、そう思っていただけるのはありがたい。勘違いはあえてそのままに過ごしてきましたが、本当にありがとうございます。テレビに出たりラジオでしゃべったり、たくさんの人に影響を及ぼすマスメディアの中にいるということで、ある意味インフルエンサーではあるのですが、しかしながら、私の一貫した身上は「フツー」ということでした。普通に生活して、普通に暮らし、普通に歳を取って成長していく、そのことを常に心の中に強く抱きつつ、NHKアナウンサーという専門の立場から、できることを全力で!と思って、自分の道を歩いてきました。NHKアナウンサーを「特別」と思っていただけるのはとてもありがたかったけれど、その中で私は普通に生きていたかったし、その姿勢で「伝える」ことを忘れてはいけないと、ずっと思ってきました。

 しかし、辞めてみて気がついたのは、自分が思うより、はるかにどっぷり「NHKの武内さん」だったこと。

 NHKを飛び出してまず驚いたのは、民放のバラエティーなどに出ると、番組の最後に必ず司会者の方たちから「武内さんって……そんなにしゃべるんですね!?」と驚かれること。え? 私、そのまんまの自分だけど?と思うのですが、どうも周りの人は、武内陶子アナ→NHK→お堅い→きっと無駄なことはしゃべらないのだろう……みたいな構図になっているようで。これはとても意外でした。NHKの中にいる時には「武内さんってNHKらしくないですよね」と言われることのほうが多かったので。面白いものだなあと。そして、これまで私は何を伝えてきたのかという疑問にもつながり、第2章の自分がどこに向かっていくのかを考えるきっかけにもなっています。

 伝えたい、そして、もうひとつ進めて、「自分の思いが伝わっているか」、といつも思い続けてきた私のアナウンサー人生。ニュースを読む時も、そのバックグラウンドを想像しすぎて思わず涙しそうになることもしばしばありました。つい、怒りも顔に出てしまっていたようで、AERAコラムニストのお一人で友達の小島慶子ちゃんから「陶子さん、この前国会のニュース読む時怒ってたよね? 〇〇首相のニュース読む時、怒ってたよね?」と言われて気づいたことも。なるべく感情を出さないようにと気をつけていたのに、やっぱり隠せないんだなあと反省。でも、小島慶子ちゃんからは「そういうところが、陶子さんはいいよね」とも褒めて(?)もらったので、三つ子の魂百まで、やはり私は私に対して正直に、飾らず背伸びせず、地道に歩いていくしかないんだとも思いました。なんでも「ほうほう、そうなんだ〜」と納得してしまう私は、常に怒れる小島慶子に憧れているんですけどね!

 さて、私の第2章のテーマは、とにかくこれまでできなかったことを片っ端からやる!ということです。NHK時代は仕事に恵まれ、人に恵まれ、公共放送の枠の中でのびのびと育てていただきました。でも、なぜか月〜金ぶっ通しのスタジオ生放送のキャスターが多かったので、自分の足で現場を取材したり、旅したり、ということはほとんどできなかった。それが唯一の心残りですけれど、いやいや人生、遅すぎることはないんじゃない? 今から始めてもいいじゃん?ということで、第2章は、とにかくロックに生きますよ〜! さて、これまでを振り返りつつ、今をロックに生きる、そして未来へ向かっての武内陶子の冒険譚に、どうぞお付き合いくださいませ。

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武内陶子

武内陶子

●たけうち・とうこ/1965年、愛媛県出身。神戸女学院大を卒業後、91年NHK入局。松山、大阪を経て東京勤務。「おはよう日本」キャスターや、「スタジオパークからこんにちは」司会などを務める。また、2003年には、「第54回紅白歌合戦」総合司会を務めた。23年9月、NHKを早期退職し、サンミュージックプロダクションに所属。夫は文化人類学者で東海学園大特命副学長の上田紀行氏。

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