ガザで初めて知った言葉

 蘇生室にいた10歳の女の子は全身に重度のやけどを負って、足の骨が粉々に砕けていて、呼吸もままならない状態で蘇生が必要だった。もちろん蘇生をし、集中治療室に移した。彼女はそれから数日間人工呼吸器につながれて生死の境をさまよっていた。そのあいだ足の傷から感染、壊疽(えそ)が広がってしまった。早く足を切断しないと死んでしまう。足の切断手術のためには家族の同意を取らなければいけない。でも家族は誰もいなかった。空爆で全員が亡くなってしまっていた。

 急がないと感染が悪化し死んでしまう。チーム内で相談し、同意がとれなくても緊急で手術をすることに決めた。でも、その日は緊急手術がいっぱいでねじ込めず、あすの朝一番で手術することにした。その準備をしてその日は手術を見送った。手術を予定していた次の朝、彼女はすでに亡くなっていた。間に合わなかった。

ガザ地区南部のハンユニスで、イスラエルの攻撃で負傷し、ナセル病院に運び込まれるパレスチナ人の子ども=2023年11月18日(写真 ロイター/アフロ)

 家族をすべて亡くした受傷児を意味する「WCNSF(=Wounded Child No Surviving Family)」という言葉がある。あの10歳の子もWCNSFだ。いままでいろんな紛争地で活動してきたけれども、ガザで初めて知った言葉だった。こういう単語が存在すること自体異常すぎる。

 こういう子たちは急性期の重症外傷や感染症を乗り越え、なんとか生き残ったとしても、継続した医療ケアは必要だしリハビリや心理的サポートも必要だ。そもそも日本やアメリカのような安全な国で健康で、何の不自由もない子どもたちにも家族の愛は無くてはならないはず。ましてや、戦争に不運にも巻き込まれてしまったこの子たちの人生はつらすぎやしないか、世の中は不条理すぎる、と医療者としてやるせない、絶望感に苛まれる時間が幾度となくあった。

 ほとんどの患者さんとはなかなか英語でカタコト以上のコミュニケーションはできなかった。現地スタッフに何とか通訳してもらうことがほとんどだ。だから英語でコミュニケーションができる患者さんと出会えると嬉しい。前々からこういう時のためにアラブ語をもっと学びたいのだがもう自分にはそんな余裕が無い気がする。

 たまに英語が堪能で直接色々話せる患者さんが運ばれてくる。北部で空爆に遭った30歳くらいの女性もその一人だった。北部でいくつかの手術を受けた後、重傷ながら南部に避難してきていた。左足の粉砕骨折に加え、顔も火傷などでひどい状態になっていた。自分は内科医だ、と教えてくれた。医療専門用語を使って会話をすることが出来た。この戦争前までは彼女は医師としてたくさんの人々を救っていたのだ、と思った。もしかしたら自分だったかもしれない――とまた思ってしまった。

 別の若い女性は全身の重傷熱傷で運ばれてきた。子ども3人が全員亡くなったそうだ。でも、現地手術室スタッフに「まだ本人は知らないから言わないでね」と言われた。彼女が起きて、「子どもたちはどこ?」と真っ先に聞くのでは、と思うと押し潰されそうな気持ちになった。

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ここまで自分が弱ってしまったのは初めて