大きな被害をもたらした能登豪雨。土砂崩れの被害を受けた現場=2024年9月22日、石川県輪島市町野町
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 被災地・能登が、今度は記録的な大雨に見舞われた。仮設住宅や半壊した自宅が浸水して、家具は泥だらけに。能登半島地震からの復興途上で新たな災害に直面した被災者たちは、再び避難を強いられている。とりわけ、避難先を転々としてきた高齢者らの悲嘆は強い。度重なる避難による「危機の連続」からさらなる困窮に陥らないために、今必要な支援策とは? 複合災害がもたらす深刻な影響を懸念している高齢者ケアの専門家らに話を聞いた。

【写真】これは逃げないとヤバイ…仮設住宅も浸水した

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 三連休初日だった2024年9月21日の午前9時過ぎ、気象庁は石川県能登地方で「線状降水帯」の発生を発表した。これは発達した雨雲が列をなし、長時間同じ場所に留まる現象だ。降り始めから22日午後4時までの雨量は輪島市輪島で498.5ミリ、珠洲市珠洲で394ミリに達し、いずれも9月の平均降水量の2倍以上を記録。川の氾濫や土砂崩れが相次いだ。

仮設住宅から再び避難所

 5月から輪島市宅田町の仮設住宅で一人暮らしを続けてきた宮腰昇一さん(76)は、

「住んでいる仮設住宅は、氾濫した川(河原田川)からはすぐそば。気づいた時には100戸以上はある仮設住宅一帯が茶色い水に囲まれていた」と話す。

 宮腰さんの住む「宅田町第2団地」の建設戸数は142戸。実際、地図上で確かめたところ、川からの直線距離は150メートルほどだ。石川県の発表によると、22日午前10時時点で輪島市と珠洲市の計11カ所の仮設住宅で床上浸水が確認されている。山間部が多く平地が少ない能登半島の地理的な制約もあり、地震を受けて建設された仮設住宅の多くが海や河川にほど近い低地に点在。そこを豪雨が襲った形だ。

 腰が悪い宮腰さんは、自宅が全壊して福祉避難所に入り、一時は富山県へ二次避難していた。仮設住宅に移って輪島に戻って4カ月ほど。豪雨から一夜明け、一時的な避難先だった市立輪島病院で電話インタビューに応じた宮腰さんは、愕然とした様子でこう語った。

「また避難所に来るとはね。振り出しに戻ってしまったよ。新しかった仮設住宅も室内は泥だらけ。外に出たら腰まで水に浸かった。車も水没してしまったんだ」

 このインタビューの後、宮腰さんは、23日午後に新たな避難先である小学校に移動した。

畳を張り替えた翌日に自宅が浸水被害

 宅田町第2団地からさらに海寄り、氾濫した河原田川沿いにある自宅で被害に遭った元岡則子さん(79)も、輪島病院に避難していた。

 元岡さんの自宅は84坪の一軒家。地震の影響で半壊になり、しばらくは市外の息子宅に避難していた。断水していた上下水道が復旧した後、5月末に市外の避難先から自宅に戻ってきた。曲がって開かなくなった玄関扉のサッシを直すところから始め、少しずつ家屋の修繕を進めていたところだった。

 奇しくも新しい畳に入れ替えたのが20日の午後。川が氾濫したのはその翌日だ。元岡さんは、呆然とした口調でいう。

「真新しい青畳が泥水にすっかり浸かってしまって、家具も泥だらけに……。もう人生、次に何が起こるかなんてわからない。ケセラセラですわ」

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細った地域コミュニティにさらなる打撃