少しでも明るい未来へ

「母が結構無理して働いて、私を幼稚園から私立に入れてくれたんですよ。両親は元々貧しい家の出身で、どちらかと言えば『虐げられた人々』、ドストエフスキーの小説の題名ですけど。土日も休みなく働いて、働きすぎて疲れて、アルコールでバランスをとっていたりした。その姿を見て私もつらかったし、たぶん母もつらかったんだろうと思う。そういう地獄から抜け出すためには、勉強して良い大学に入ってみたいな気持ちが自分の中にあったのかな。良い成績を取れば、少しでも明るい未来に近づけるみたいな」 

 母の努力を実りあるものにできるかどうかは、自分にかかっていると感じたのだろうか。中学に上がった理恵さんは、テストでいい点を取るために全力で勉強した。しかし、中学3年生になるころには、燃え尽きて鬱状態になってしまった。ほどほどにやる、ということができなかったのだ。

「純粋に好き」になれない

「そのときに、もう好きなことをやろうと思って、アートに関心を持つようになったんですけど、何をするにも仕事につながるかどうかを意識してしまって、ものごとを純粋に好きになることができなくなっていました」

 好きか嫌いかではなく、正しいか間違っているかで考えてしまう。そうした意識は、年を重ねるにつれてひどくなっていったという。

考えがどんどん狭まって

「最近は本当にどうしたらいいのかわからなくて、服装とかも何を着たらいいのかわからないんですよ。最低賃金の安い国々で作られた服は、労働者を搾取して作っているから良くないんじゃないかと思って、国産で職人がプライドを持って作っている服を買おうとか思ったりするけど、よく考えたら別にそこまで服が好きでもないし、コストも時間もかけるようなことではないから、何してるのかなって一瞬思ったりする。別にそこらへんで売っている服でも、労働環境がきちんとしていてエコであればいいんですよ。だけど、企業がちゃんとしていないからそこまでしないといけないのかなって、どんどん考えが狭まってきてる」

 社会正義を追求しすぎるあまり、身動きが取れなくなってしまったのだ。

「純粋な気持ちだけで好きなものを選んでいる人がうらやましい。それって、やっぱり子どもにしかできないことなのかな?」

 大人になると、純粋な気持ちがなくなるのだろうか。リカちゃん遊びをしていたころの理恵さんは、だいぶ個性的だったようだ。

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