秦始皇帝の兵馬俑(写真:Zoonar/アフロ)
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 映画『キングダム大将軍の帰還』やドラマ「始皇帝 天下統一」など、始皇帝をモデルにした映像作品が人気を博している。いずれも秦の統一戦争の過程を描いているが、敵対した趙や楚との軍事力の差はどこまであったのか?

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 映画『キングダム』の中国史監修を務めた学習院大学名誉教授・鶴間和幸さんは、著書『始皇帝の戦争と将軍たち』の中で、秦が統一を成し遂げた要因の一つとして「将軍の采配の力」を挙げる。

 新刊『始皇帝の戦争と将軍たち』(朝日新書)から一部抜粋して解説する。

【一部、『キングダム』よりも先の史実に触れています】

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七国の歩兵・騎兵・戦車

 戦国時代の各国の軍事力を、歩兵、騎兵、戦車ごとの数で比較してみよう。

 歩兵では、燕・趙・韓・斉の兵は数十万(魏は武士二十万ほか)で、楚と秦は兵は百万の軍事大国である。

 始皇帝の兵馬俑は、歩兵部隊の様子を伝えてくれる。鎧を着けた帯甲の兵士のほかに、鎧を着用しない軍服だけの身軽な兵士も見られる。弓兵は集団で最前線に配置され、戟兵は戦車の太鼓で進軍し、鐘の音で後退していた。

 大国・楚の歩兵部隊についてはどうか。当時、楚兵の持つ武器や甲冑は最先端のものであった。春秋時代の呉越で築かれた、銅剣の高い鋳造技術を継承したのが楚であった。『韓非子』難一篇に見える楚人が矛と盾を売る話も、楚の武器の優秀さを物語るものである。

 騎兵についても見ていこう。趙・楚・秦の三国は一万匹(馬は匹と数えた)と多く、拮抗していた。一方、燕は六千匹、魏は五千匹と少ない。

 始皇帝の兵馬俑二号坑には等身大の騎馬軍団が七二体埋まっており、二十体ほどが発掘されている。騎兵は風よけの帽子をかぶり、歩兵や戦車兵とは異なる動きやすい鎧(肩なしで腰のベルトまでのもの)を着用し、皮製のブーツを履いている。

 まだ後世のように騎兵の身体を固定させる前輪と後輪も、鐙(あぶみ)もなく、敷物の上に偏平な鞍が乗るだけであり、馬を乗りこなす熟練度が求められた。

 馬の頭は騎兵の頭より低く、足も太く短い。近年の馬の骨格のDNA研究では、秦の馬はたえず牽引力と機動力のある優秀な馬を西方や北方の草原から受容して、改良していたようである。こうした騎馬の機動力が、戦車に誘導された多数の歩兵を守った。

 戦車の所有数はどうだったのか?

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「将軍の力量の差」