趙・楚・秦の戦車は千乗と多く、燕と魏は六百乗で少ない。

 歩兵・騎兵・戦車からなる軍隊は、秦と楚が拮抗していることがわかる。秦と楚の軍は一台の戦車に十人の騎兵、千人の歩兵という割合になる。十万の歩兵の軍では百台の戦車、千人の騎兵となる。五十万の軍では五百台の戦車、五千人の騎兵となる。

 戦力が拮抗している楚軍と秦軍の勝敗を分けたのは、軍全体を統率する将軍の采配の力量の違いであったと思う。歩兵、騎兵、戦車の構成部隊の全軍を指揮し、結集させ、機動させる技量こそが秦軍の力であった。それは六十万を率いた対楚戦の王翦(おうせん)、三十万を率いた対匈奴戦の蒙恬(もうてん)の将軍力に象徴される。

 とはいえ二十万の李信将軍は、対楚戦に敗北した。秦の将軍といっても、けっして常勝ではなく、その時点の情勢のなかで敗北もすれば勝利もしていたのである。

《朝日新書『始皇帝の戦争と将軍たち』では、趙・楚・斉など六国を滅ぼすまでの経緯を詳述している》

始皇帝の戦争と将軍たち 秦の中華統一を支えた近臣軍団 (朝日新書)
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