「インクルーシブ」「インクルージョン」という言葉を知っていますか? 障害や多様性を排除するのではなく、「共生していく」という意味です。自身も障害のある子どもを持ち、滞在先のハワイでインクルーシブ教育に出合った江利川ちひろさんが、インクルーシブ教育の大切さや日本での課題を伝えます。
【写真】「この環境で育った私にしかできないことがある」 唯一の健常児の次女が葛藤を乗り越えた瞬間
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9月になりました。高3の次女は大学受験本番まで1カ月を切り、本人よりも私の方がドキドキ・バタバタしています。次女が受験する「総合型選抜入試」は、学校の成績以上に志望理由や熱意を伝えるプレゼンが重視されるのが特徴のようです。そのため、塾の授業も英語や数学などの学科より小論文や面接対策が多く、7月頃からは自宅でも次女と一緒にアピールポイントをたくさん考えてきました。
3人きょうだいの真ん中で、唯一の健常児として育った次女にはきょうだい児(病気や障害のある子どもの兄弟姉妹)として長年の葛藤があったようですが、本人が選んだ進路は医療系の学部でした。今回は、次女のことを書いてみようと思います。
姉や弟を「知られたくない」
我が家の次女は医療的ケアが必要な長女の双子の妹です。3人の子どもの中では次女が一番小さく生まれ、その後の経過も一番不安定でしたが、なぜか脳にダメージを受けなかったのは次女だけでした。
次女は、幼い頃から自分とは違うケアが必要な「寝たきりの姉」と「足が不自由な弟」の存在をよく理解していたと思います。特に長女のことは2歳頃から妹のようにかわいがり、小学校低学年頃からは胃ろうから栄養の注入などの医療的ケアを手伝ってくれるようになりました。
一方で、我が家の環境に対して葛藤が出始めたのも小学生の頃でした。他のお友達のように休日に気軽に外出ができないことへの不満を表したり、車いすやバギーを使う家族のことを「知られたくない」と言ったりするようになりました。今思うと、この頃が、次女が一番苦しかった時期だったのかもしれないですね。その後、中学生になり心の成長が進むとともに、姉や弟の存在や、自分自身の環境を少しずつ受け入れられるようになったのだと思います。