映画「アウトレイジビヨンド」に出演した中尾彬さんに「おまえがモノマネする人がたくさんいるから見にいった方がいい」と助言を受けたのがきっかけで、その後に劇中のキャラクターを一人でモノマネするお仕事をいただきました。中尾さんはNHK-BSの「真似して真似され二人旅」で共演したときに沖縄で一緒に絵を描くなど、ありがたい時間を過ごさせていただきました。今年5月に亡くなられたのは辛かったですね。一人では生きられないですし、人とのつながりや番組との縁を大切にしたいです。
お蔵入りのはずのVTRをこっそり取り出しオンエア
――25歳のときに「進め!電波少年」で松本明子さんとのダブルMCに抜てきされました。体当たりの過酷なロケが話題になりましたね
今の時代は考えられない企画ばかりでした。一番辛かったのは、砂漠のど真ん中で遭難したときですね。本当に死ぬかと思いました。砂漠を脱出した後に水を10リットルぐらい一気に飲んだけど尿が出なかったんです。その後に赤茶色の尿が出て。脱水症状がひどかったんだと思います。「ユン・ピョウは本当に強いのか」とハリセンで襲うアポなしのロケも印象に残っています。番組のプロデューサーから「これはまずい。お蔵入りだ」とストップがかかって、ディレクターも「(放送で)流さない」って言ったのに、演出の土屋(敏男)さんが「流しちゃえ」って。ADを使って、プロデューサーの机の引き出しの鍵を開けて、VTRが入ったテープを取り出して流していました(笑)。
――改めて振り返ると、すごい企画ばかりですね
スタッフが「面白ければ何でもいい」という精神で熱量がすごかったです。ディレクター同士が「オレの企画の方がおまえより面白い」ってののしり合っていましたから。番組は1992年7月からスタートしたんですが、番組の改編期ではないので、余っていたディレクターはケンカして外れていたような人ばかりだったんですよ。「ショムニ」みたいな集まりでした(笑)。周りからは「番組はどうせ3カ月でつぶれるだろう」と言われていましたが、時代の波に乗った感じがしました。