阿部一二三(右)(写真:東川哲也(朝日新聞出版)/JMPA)
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 パリの中心部を流れるセーヌ川を舞台に、夏のオリンピック史上初めてスタジアムの外で行われた開会式から始まり、連日の熱戦が繰り広げられたパリ五輪。柔道では審判や技をめぐる議論も紛糾した。AERA 2024年8月26日号より。

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斉藤立(左)(写真:東川哲也(朝日新聞出版)/JMPA)

 今大会の柔道は多くの物議をかもした。銅メダルに輝いた男子60キロ級の永山竜樹は、準々決勝で「待て」の合図がありながらスペインの選手に絞め続けられ失神。一本負けの判定には疑惑が残った。混合団体の5人目を担った阿部一二三はレスリングのタックルかのようなすくい投げで一本負けした。

「お家芸」である柔道日本代表が敗れると「あれは柔道ではなくレスリングだ」といった批判が毎回起こるが、北海道大学柔道部出身で『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』や『七帝柔道記』の著作がある小説家の増田俊也さんは「武道としての柔道、漢字の柔道が横文字のJUDOとなってしまったという論は的外れです」と語る。

「そもそも講道館柔道の創始者である嘉納治五郎先生はアマレスの飛行機投げを肩車という名前で柔道に組み入れたりしてたんです。さらにはボクシングのパンチや空手の蹴りにも興味を示しており、海外のさまざまな格闘技の良いところもどんどん取り入れていくつもりでした。そして離れた間合いでは殴り、蹴り、そのあと道衣を掴んで投げ、寝技で仕留める格闘技を創出しようとしていました。まさしく現代のMMA(総合格闘技)です。嘉納治五郎先生はそれくらい挑戦的で先進的な人でしたし、外に目を向けた人でした」

 疑惑の判定で渦中の人となった永山は後日、自身のSNSに対戦したスペイン人選手との2ショット写真を投稿。言い訳することなく〈誰がなんと言おうと私たちは柔道ファミリーです!〉とすがすがしく綴ったが、4年後のロサンゼルス五輪で「柔道」はどんな形になっているだろうか。(編集部・秦正理)

AERA 2024年8月26日号より抜粋

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秦正理

秦正理

ニュース週刊誌「AERA」記者。増刊「甲子園」の編集を週刊朝日時代から長年担当中。高校野球、バスケットボール、五輪など、スポーツを中心に増刊の編集にも携わっています。

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