黒名ひろみ『温泉妖精』。2015年のすばる文学賞受賞作である。
 主人公の岡本絵里は神戸在住の27歳。容姿にコンプレックスを抱いていた絵里は美容整形で目と鼻をいじり、髪を脱色し、青いカラーコンタクトを入れ、外国人のふりをして温泉旅館に泊まるのが趣味である。彼女の楽しみはハンドルネーム「ゲルググ」のブログである。性別は男という以外正体不明のゲルググは「ネタバレ宿泊記」と称するブログを週に1度更新していた。
〈旅館大舞龍の湯は今思い出してもはらわたが煮えくり返るくらいの三流旅館だ。料理は器が豪華なだけ。飯は冷えているし、松葉ガニは痩せこけている。仲居のオバハンは歯周病らしく口が激クサ、肩にはフケが散って清潔感ゼロ。部屋の暖房は利きが悪く、朝起きたら凍死寸前〉
 なんともはや。ところが、そのゲルググが唯一酷評せず、小さな岩風呂の画像とともに〈また来てしまった〉とだけ書く旅館があった。何度も登場するこの旅館「花」に絵里はどうしても泊まりたくなり、神戸から長時間かけて訪れるが……。
 ダメ女とダメ男、そしてダメ温泉旅館の物語である。外国人を気取って〈わたし、ニホンゴ、チョットしゃべれます〉などとたどたどしくしゃべる絵里も絵里だが、水道水を沸かして温泉の素を入れている旅館も旅館。しかもここで出会ったゲルググとおぼしき男がまたアレで。
 とはいえダメにはダメの理由があるわけで、彼らが抱える孤独は大変現代的である。おバカに見える絵里も低賃金の介護施設で働いている。ネット空間とは孤独な者たちが群れる場なのかもしれず、そんな者たちがリアル旅館で出会ったらどうなるか、というちょっと意地悪なシミュレーション小説ともいえるかも。
〈童貞の男は四十過ぎると妖精になると言われている。ネットの世界で流れるファンタジーだ〉
 妖精という可愛らしい言葉のイメージを逆転させる表題の妙。まあでも「花」には泊まりたくないな。

週刊朝日 2016年3月4日号