筆者が19年に足を運んだ際は、
「イラッシャイマセ」
胸元の開いたドレスを着た女性たちにそう迎えられたが、今回は違った。
「ウェルカム! ボス」
正面のステージをはさみ、左右に個室が並ぶ作りこそ変わらなかったが、客層が一変していた。店のマネージャーらしき人間はこう説明した。
「以前は8割近くがベトナム人の送り出し機関関係者に連れられた日本人でしたが、今は半数程度が台湾人。日本人が来ることは稀で、中国語の勉強を始めた女性も多い。つき合いのあった監理団体関係者に連絡をしても、もうベトナムからは人が採れないから、行くことはないと言われました」
新規入国者数はインドネシアが増加
裏金と接待が横行した時代から、それらを徹底的に排除してきたハノイ市の送り出し機関LACOLI。執行役員の宮本勇樹さんは「自業自得の結果」と切り捨て、こう続けた。
「結果として実習生の負担が大きくなり、多額の借金を背負って来日するベトナム人実習生が社会問題となりました。失踪や軽犯罪の温床となり、ベトナム人の評判が下がり、日本企業のベトナム離れが進んでいます」
他方、日本離れも進む。LACOLIでは候補者の履歴書に本人の年収を記載する欄を設けているが、
「以前は月収が2万~3万円だったが、地方でも4万~5万円と記載する候補者が散見されるようになった。円安の影響で稼げない国になるなか、企業からの求人票が減る一方、日本を目指す若者たちはシビアになっています」
ハノイ市内の別の送り出し機関のベトナム人幹部はこう話す。
「人を送った分だけお金になると、全盛期は自己紹介の練習だけをさせて面接を受けさせるなど、不勉強な若者でも何でも日本に送っていた」
裏を返せば、それだけ日本を目指す若者がいたということだ。同幹部らによると、ベトナムの経済成長と円安の影響を受け、手取り給与から寮費を引いた金額が最低12万円、残業込みで15万円以上なければ、今では人材の募集が難しくなったと話す。