土砂崩れについて報道対応する松山市の野志市長=2024年7月16日

市と文化庁で見解に食い違い

 勝山の頂上には、松山城がある。関ヶ原の戦いの功績で大名となった加藤嘉明が築城した歴史的な建造物で、天守は江戸時代以前に建設されて今も残る「現存12天守」のひとつだ。この天守など松山城の21の建造物は国の重要文化財に指定され、城域の大部分は「松山城跡」として国史跡に指定されている。

 松山市の野志克仁市長は、土砂崩れの後の記者会見で、
「国の史跡であるため、発掘調査などに文化庁の許可が必要だった。市としては早く工事をしたい思いがあった」
 などと説明した。

 松山市は昨年11月、工事に向けた発掘調査を申請。12月に許可が出て、今年1月に埋蔵文化財などの発掘調査が行われ、その結果を受けて4月に文化庁に改めて復旧工事の申請をし、5月に工事の許可が出た。工事に取り掛かったのは7月からだった。

 松山市によると、7月1日に工事の準備にとりかかった際、緊急車両用道路に大きな亀裂や傾きがあるのを確認。ブルーシートを張り、2日から9日まで不安定な擁壁を取り除くなど、道路にかかる重さを軽減する応急対策をした。しかし、10日から断続的に豪雨が降り続き、12日に土砂災害が発生。緊急車両用道路の下方部分が大きく崩れ落ちた。工事との因果関係は、これから調査していくという。

 市は文化庁の許可申請手続きに時間がかかったので対策が遅れたというのだが、これに対して文化庁は、
「緊急性があるものは、許可なく工事ができます。緊急性の有無の判断は松山市にゆだねている」
 と見解に相違がある。事実、2018年の西日本豪雨災害の際には松山市は文化庁を通さず、緊急工事を実施していた。

 野志市長は会見で対策の遅れについて問われ、
「(7月に工事を始めて)亀裂が見つかるまでは、工事の緊急性は高くないと判断していた」
 と発言。文化庁の手続きを踏まずに工事を進めるほど、緊急性があるとは判断してこなかったことを認めた。

 愛媛県の幹部は、
「7月下旬にようやく、愛媛県と松山市の合同で今後の対策を協議した。その席上で『2018年の緊急工事の資料がない』と松山市から説明され、びっくりした。それでなくとも対応が遅いと市民から批判が出ているのに」
 と苦々しげに話す。

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