鈴木一正さん(74)。父の戦争体験とその後の孤独を、子どもとして共有できなかったと後悔を口にする。「戦争は全てをなくす。二度と起こしてはいけない」(写真:野村昌二)

 父は戦争でどんな体験をしたのか。父のアルバムや軍歴を調べると、そこには別人のような父の姿があった。軍に表彰され、軍曹として部下を率いる立場にもなっていた。若者らしい、使命感に燃えた熱血漢だった。

「確信しました。過酷な戦場体験が、あれほど精力的だった親父を廃人にしたんだ、って」

 もっと早く戦争トラウマについて知っていれば、父にかける言葉があったのではないか。同じように心を壊された復員兵とその家族は、全国にいる──。黒井さんは父の足跡をたどると同時に、動き始めた。18年、「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」を立ち上げた。会の存在を知った元日本兵の家族や遺族から、徐々に様々な証言が届くようになった。昨年10月には「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」に枠組みを広げ、各地で証言集会や講演会を開催しながら、国による実態調査を求めている。

 戦争の何が、父の心を蝕(むしば)んだのか。

 千葉県に住む鈴木一正さん(74)も、今その答えを探している。

 父の英治(えいじ)さんは、旧満州で銀行員として働いていた時、召集され戦場に行った。背中と足に銃弾を受け、生々しい傷痕が残っていた。復員後は生活のため料理人の道を選んだ。昼間は懸命に働いたが、仕事から帰ると必ず酒を飲むようになっていった。もともと酒飲みではなかったが、傷の痛みを癒やすためか酒に溺れた。毎日のように酔いつぶれる父を、弟と担いで寝床に連れていった。

 そんな父は時々、朝起きると「今日、また夢見ちゃったよ」と言って戦争の話をした。ゲリラ兵を殺した話だった。

十字架背負い孤独だった父、わかってあげられなかった

 父は、戦場で毛沢東の中国共産党が率いる八路軍と戦っていた。ある日、父は屋根の上にいた八路軍のゲリラ兵を見つけ銃を向けた。弾はゲリラ兵に当たり、屋根から落下した。すると、ゲリラ兵の母親らしい女性が飛び出して来て遺体に泣きすがったという。

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