黒井秋夫さん(75)。黒井さんの活動を機に、戦争でトラウマを負った元兵士の家族からの証言が集まってきている。「この問題をきちんと歴史に残したい」(写真:野村昌二)
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 戦後、日本社会で長く埋もれてきた「戦争トラウマ」。その苦しみは、戦後79年が経とうとする今もなお、世代を超えてつづく。そうした中、元日本兵の家族が語り始めている。家族に思いを聞いた。AERA 2024年8月5日号より。

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 極限の暴力でもある戦争は、殺し、殺される殺戮(さつりく)の現場だ。たとえ生還しても、壮絶な体験は兵士の心に深い傷を負わせ、人を壊す。

復員兵の心の問題は「恥」ひた隠しにされてきた

 家族への暴力、悪夢、自殺、アルコール依存、薬物……。戦争とトラウマの関係は、米国で1960年代以降、ベトナム戦争の帰還兵の間で社会問題化し、研究が進んだ。だが、日本ではアジア太平洋戦争からの復員兵の心の問題は「皇軍の恥」とされ、ひた隠しにされてきた。元兵士やその家族も精神疾患を「恥」と思い、当事者が語りにくい構造がつづき、日本社会では広く共有されてこなかった。

 元兵士のほとんどが世を去ったが、人生を破壊されたのは本人だけではない。戦後79年が経とうとする今もなお、元兵士が負った心の傷は連鎖し、家族に大きな影響を与えている。

 戦争トラウマの問題を当事者として最初に世に訴えたのが、東京都に住む黒井秋夫さん(75)だ。

 父・慶次郎さんは、1932年に20歳で入隊し、旧満州や武漢など中国戦線に約7年従軍した。46年、34歳で復員し、2年後に黒井さんが生まれた。黒井さんの知る父は、廃人のように無気力で、黙り込み、笑顔を見せたこともなかった。定職にも就かず、一家の生活は苦しかった。しかし、貧しさから抜け出そうという意欲も感じない。そんな父を尊敬できず、こんな男には絶対になるまいと考えるようになった。

「ずっと親父を軽蔑していました」

 90年、77歳で父が亡くなったとき、涙一つ出なかった。それが、四半世紀後の2015年、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しむベトナム戦争の元米兵のドキュメンタリー番組を偶然見て、衝撃を受けた。「戦場は地獄だ」。そう語る元米兵のまなざしが、父の暗く悲しげな目と重なった。瞬時に理解した。親父も同じだ、と。

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野村昌二

野村昌二

ニュース週刊誌『AERA』記者。格差、貧困、マイノリティの問題を中心に、ときどきサブカルなども書いています。著書に『ぼくたちクルド人』。大切にしたのは、人が幸せに生きる権利。

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