これだけ波瀾万丈な人生を駆け抜けた傑物なので、海外だけでなく、日本でも有名になっていて当然と言えます。けれども実際には、その名はほとんど知られていません。
このような不自然な状況に陥った背景には、主に二つの理由が考えられます。
一つ目は、クラシックやジャズとの共演など、鶴田錦史の縦横無尽の音楽活動が邦楽の枠に収まりきらず、結果、正当な評価が得られなかったから。
二つ目は、自分の思いを叶えるため、ジェンダーによる呪縛さえも超える鶴田錦史の奔放な生き方が、伝統を重んじる邦楽界では歓迎されず、彼女の没後、その異色の存在自体がタブー視されるようになったからです。
私は思いました。伝記を書いて、「鶴田キクヱ(本名。のちに戸籍も雅号〈琵琶の芸名〉の「錦史」に変える)」という一人の女性の生き様を伝えることで、過酷な運命に虐げられても、立ち上がり、戦い続ける人たちにささやかなエールを送れるのではないか、と。
執筆中、非常に重要な証言者を突然の死で失い、この伝記執筆の依頼者が失踪して音信不通になるなどのアクシデントを乗り越え、十一年の歳月を費やして、二〇一一年十一月、第十七回小学館ノンフィクション大賞優秀賞受賞作として鶴田錦史の伝記『さわり』を上梓できました。
それからさらに十数年の歳月が流れて、女性を取り巻く環境は大きく変わりました。ジェンダーに関する悩みをタブー視する風潮は弱まり、オープンに語り合えるテーマとなりました。その一方で、自らの思いのままに生きることが、より難しい時代にもなっています。
自由に対する寛容さもゆとりもない、閉塞感に満ちた世の中で、それでも希望を捨てずに歩み続ける人たちにこそ、鶴田錦史の生き方がなんらかの励みやヒントになるのではないか―――そう考えた私は『さわり』を今の時代に合わせて書き直すことにしました。
こうして『さわり』の全面改訂文庫版『男装の天才琵琶師 鶴田錦史の生涯』が出版される運びとなりました。
冒頭では『ノヴェンバー・ステップス』の初演の様子を再現。終盤では、武満氏、鶴田氏、横山氏、そして小澤氏の四人がこの名曲をいかにして創り上げたか、そのプロセスを詳細に記すことで、日本が世界に誇るマエストロへの哀悼の意も込めさせていただきました。
鶴田錦史と同じく「生きる」ことに真摯に向き合っておられる方に読んでいただければ幸甚です。