『男装の天才琵琶師 鶴田錦史の生涯』

朝日文庫より8月7日発売予定

「鶴田錦史」をご存知の方は少ないと思います。私も伝記の執筆を依頼されるまで知りませんでした。

 半年前の二〇二四年二月六日、世界的指揮者の小澤征爾さんが亡くなられました。彼の名を初めて広く世界に知らしめたのは、一九六七年十一月、ニューヨーク・フィルハーモニックの創立一二五周年記念公演での『ノヴェンバー・ステップス』の初演。三十二歳の若きマエストロは、三十代半ばの新進気鋭の作曲家・武満徹の難解な現代曲を見事に指揮して、大きな成功を収めます。このとき琵琶のソリストを務めたのが鶴田錦史です。

 欧米での「琵琶・鶴田錦史、尺八・横山勝也」による『ノヴェンバー・ステップス』の演奏は優に百回を超え、一九八五年、鶴田はフランスの芸術文化勲章コマンドールを受けます。

 その翌年一月には、世界中に熱烈なファンを持つジャズピアニストのキース・ジャレットと共演しました。

 ですから、音楽愛好家の中には「鶴田錦史」の名前をご存知の方も珍しくありません。しかし、鶴田錦史が女性だと知る人はほとんどいません。写真や映像で見る彼女は、オールバックに鼈甲縁のサングラスをかけた強面。普段は三つ揃いのスーツ、演奏時は紋付袴姿で、〝音楽家〟というよりも〝名のある組の親分〟に見えました。

 彼女の人生を簡単な箇条書きにまとめてみましょう。

・幼い頃から天才琵琶師として活躍
・二十代半ばに結婚、出産、離婚を経験
・二人の子どもを手放し、琵琶の仕事も辞める
・水商売でのし上がり、財を成す
・東京大空襲ですべてを焼かれる
・終戦直後、裸一貫で別府に乗り込む
・女の人生を捨て、男装してビジネスに邁進
・著名人の集まる伝説のナイトクラブを誕生させる
・毎年、「高額納税者」として新聞に掲載される
・資産家となるも、五十歳で実業界を引退
・男装の琵琶師として邦楽界にカムバック
・五十五歳で音楽家として世界的名声を得る

次のページ