視野の広い司令塔でもあるが、自らもランでボールを運べる万能型プレーヤー。アンケートの「歴史をかえられたら?」の問いに「世界平和」と記している(写真:谷本結利)

 ここで承信がペナルティーゴール(3点)を決めれば逆転。残り時間から見てもラストのプレーで勝利は手に入る。すでに承信は周囲を驚かすには十分な活躍を見せていた。それまで得意のキックを2本とも決めていたのである。承信なら、決めてくれると誰もが思った。ところが、蹴らなかった。蹴れなかったのである。そうなったのは、「ここで外したら、自分のキックで、3年生たちの高校ラグビーを終わらせてしまう。そう思ったら、蹴ると言えなかったんです」(李承信)。

 補助金が打ち切られたことで朝鮮学校の施設は老朽化する一方だった。日本の強豪校とは比べものにならない苛烈な環境の中で大阪朝高の先輩たちは、チームを支え牽引(けんいん)して来た。その人たちの競技者半生を背負うというプレッシャーから、普段の彼からすれば、決まる可能性の高い位置であったが、足がすくんだ。大阪朝高はペナルティーキックではなく、モールを選択した。しかし力勝負では、押し込むことが出来ず、ボールを奪取されてそのままノーサイドの笛を聞いた。悲願の花園行きのチケットは零れ落ちた。今、承信は淡々と振り返る。

「あのときの僕は身体が震えて蹴っても入る気がしなかったんです。躊躇してチャレンジが出来なかった自分がいた。でもそこに向き合うことで得たものが大きかったです」

 高校卒業後は帝京大学に進学するが、これを1年で中退する。学校に不満があったわけではない。世界のトップチームと対戦する度にその差を痛感し、自身の成長のために海外に留学してのプレーを望んだのである。選んだのはラグビーを国技とし、W杯優勝3回を誇るニュージーランドだった。

 しかし、その矢先、世界的なパンデミックが降りかかった。コロナの蔓延(まんえん)によって渡航が叶(かな)わず、留学が潰(つい)えて所属チームが無くなってしまった。失意の中にいたときに声をかけてくれたのが、神戸製鋼コベルコスティーラーズ(現・コベルコ神戸スティーラーズ)のチームディレクター福本正幸(56)だった。幼少期から馴染(なじ)みの深い地元のチームからのオファーを受け、入団が決まった。

(文中敬称略)(文・木村元彦)

※記事の続きはAERA 2024年7月15日号でご覧いただけます

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