森脇健児さん(撮影・平尾類)

――芸能界は浮き沈みの激しい世界です。12本あったレギュラーが30歳のときにゼロになりました。

 売れているときは全力で駆け抜けていただけ。無我夢中でした。自分が面白いと思って走っていないと蹴落とされる世界です。でも、「実力がないのにこんなにお金をもらっていいのか」という不安はありました。神輿(みこし)に乗って踊ればいいけど、いつか外されることは分かっていますから。でも仕事がなくなったのは誰のせいでもない。全部自分の責任ですから。ここまでどん底を味わうとは思わなかったですけどね。

マンションは2200万円で売却

――それからはどのように暮らしていたんですか。

 マンションを2200万円で売って、ベンツも売って、京都に戻りました。若井はやと師匠の付き人をもう一度やって。師匠からは「何をビビっとんねん。芸人で売れるやつは30歳を超えてからや。借金背負ってないんやったら勝ちやで。今までの経験が全部財産になる」って声をかけていただきました。生活が苦しい時期はあったんです。当時結婚して子供が2人いましたし、「やばいな、お金ないな。バイトしなければ」と思ったら、営業の仕事が来て「助かる、今月はいける」って。その繰り返しでした。でも芸能界を辞めようとは一切思わなかったですね。だって、この世界が好きで入ったんですから。苦しかったけど、30代が一番大事な時期だったと思います。

――36歳のときに初出演した「オールスター感謝祭」(TBS系)の赤坂5丁目ミニマラソンでの活躍で徐々にメディアでの露出が増えるようになります。そして、2017年に放送された「しくじり先生 俺みたいになるな!!」(テレビ朝日系)が大きな反響を呼びました。ご自身を「全然面白くないのに自分のことをめっちゃ面白いと勘違いしちゃった先生」、「究極の勘違い野郎」と語るのは大きな覚悟が必要だったと思いますが。

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大勝負だった「しくじり先生」への出演