近頃、春画がちょっとしたブームで、その手の浮世絵や絵巻が「美術」として再評価されている。本書にもカラー図版が数枚載っているが、「いかにも」な絵と共に『伴大納言絵巻』の火事場面や『餓鬼草紙』の路上風景も並ぶ。ヘンに博覧強記な著者だけに、その謎のほうが興味深い。
「芸術か猥褻か」は社会通念で決まる。各時代の男女のあり方が影響するが、男女関係は親子関係や社会構造と無縁ではない。というかその一部だ。だから本書は社会の本質を炙り出すことになる。
 露骨な性表現が扇情的とは限らない。江戸時代に春画は「ワ印」と呼ばれたが、ワは「猥褻」のワではなく「笑い絵」のワだ。なぜ笑うのかというと、誰もがすることを誇張しているからだそうな。つまり笑える「あるあるネタ」なのだ。
 平安時代、身分ある女性は姿を見せず、男は噂やその男性親族の佇まいを頼りに、女のありようを想像し、女の許に通った。その頃、「会う」ことは性関係とほぼ同義で、通いたい男が多い「恋多き女」もいた。しかし父の家に住む女の許に通うのは、舅の許に通うことでもあった。舅は当然、身分の高い出世しそうな男を婿にしたい。恋愛は権力構造だった。
 平安の都で、夜の通いは「みんなやってる秘め事」で、夜だから道は暗い。その暗い道には汚物が落ちていて……というもうひとつの下ネタで『餓鬼草紙』が登場。
 また院政期、「事実」に興味を抱いた後白河院は、伴大納言の放火事件を絵巻に描かせたが、『小柴垣草子』も事件のドキュメンタリ画像であり、そういう意味で赤裸々だった。観念に支配された貴族社会が崩れ、武士が台頭した時代に起きていたのは、「性の解放」ではなく「肉体の発見」だった。
 江戸の遊郭では、王朝の「通い」を遊戯化した約束事を導入して楽しんだ。宗教的タブーが希薄な日本では、遊戯的なモラルがその代行を果たした。日本人って、大人なんだか子どもなんだか……。

週刊朝日 2016年1月22日号