立花理佐さん(事務所提供)
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 昨年秋に、直腸がんに罹患(りかん)し手術していたことをブログで公表した女優の立花理佐さん(52)。治療の副作用のつらさや孤独感で気持ちが沈み、毎日大泣きしていた時期があったという。病気の経験を伝えたいと前を向き始めた今でも、「暗闇だったあの頃」に戻ってしまいそうになる瞬間があるのだと、ありのままの自分を語る。

【写真】えくぼがかわいい!「毎度おさわがせします」に出演していたころの立花理佐さん

「あー、しんどい」

 そんなネガティブな言葉が無意識に漏れて、深いため息をつく。立花さんが、「息の吸い方すら分からないような感覚」に陥ったほど絶望していた「あの頃」に戻りかける瞬間だ。一人でいると突然、孤独感に襲われたり、何かつらいことがあったときに、ふと暗い影が忍び寄ったりする。

「だめだめ。やめなさい、やめなさい」

 心の中で、そんな自分を“取り消す”作業をして、何とか踏みとどまる。前を向き始めた立花さんの日常だ。

激痛や抗がん剤の副作用との戦い

 健康には自信があった立花さん。今でこそ「私を反面教師にしてほしい」と強く訴えるが、まさか大病をするはずはないと油断しきっていた。

 2020年にがんが発覚。まさに「青天の霹靂」だった。

 暮らしは一変し、待っていたのは手術後の激痛や抗がん剤の副作用との戦い。

 家に一人でいるとき以外は、夫と当時高校生だった一人息子が、家事を分担してすべてやってくれた。

「本当にうれしかったです。息子も、何かを頼んだらいつも嫌々やるときが多かったのに率先して動いてくれて、『できるじゃん!』って」

 立花さんが好きなテレビ番組を録画してくれるなど、息の合った父子のコンビネーションで立花さんを支えた。

 はた目には、絵に描いたような家族愛に映る。

 だが、苦痛と、人生の先が見えない不安を抱える立花さんの心は、自分でも理解できないほど意外な方向に動いた。

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國府田英之

國府田英之

1976年生まれ。全国紙の記者を経て2010年からフリーランスに。週刊誌記者やポータルサイトのニュースデスクなどを転々とする。家族の介護で離職し、しばらく無職で過ごしたのち20年秋からAERAdot.記者に。テーマは「社会」。どんなできごとも社会です。

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