三井住友銀行の工藤禎子さん(撮影/写真映像部・松永卓也)

支店から異動して国際業務部に配属された当初は計数管理や企画、新分野の開拓に向けたレポートを書くことが仕事でした。いろいろところから情報を収集して、3年後のグローバルなプロジェクトファイナンス業務の資産や収益のシミュレーションをしました。当時はExcelがないから、係数管理は手計算です。地味な仕事でしたが、海外の支店とのコミュニケーションをとる機会もあったし、上司とともに役員に説明する役割も担え、自分にとってはいい経験になりました。

――工藤さんは数々の実績を残し、プロジェクトファイナスの分野でSMBCがリードする存在になるまでチームの一員として押し上げたといわれています。そんな工藤さんでも苦い経験はありますか。

工藤: 30代で関わったオーストラリアでの炭鉱採掘プロジェクトですね。最終的にはその事業は、次のスポンサーに売却しました。銀行も債務をカットしましたから、損をしたわけです。

私がそのプロジェクトにかかわったのは事業自体が苦しくなってきてからでした。弊行ははその案件のアレンジャー、エージェントをつとめていたので、銀行団の代表として、その債権処理案をまとめる立場。修羅場のときもありました。

――それは、後ろ向きな仕事ですね。貧乏くじをひいたとは思いませんでしたか。

工藤:そういった意識はまったくありませんでした。上司もサポートしてくれましたし、学ぶことが多くやりがいがありました。一方、身体はストレスに反応するんですね。顔に帯状疱疹が出て、顔の右半分にたくさんの小さな水ぶくれはでき腫れてしまいびっくりしました。「目に広がると失明するから」と医師の診断を受け、治療のために1週間ほど人生で初めて入院しました。 

プロジェクトファイナンスは事業が生み出すキャッシュフローのみで、融資の返済をします。キャッシュフローが悪化して、債権を回収できなければ、銀行団も損をしてしまいますから、例えば出資者に「もう少しお金を出せないか」などと交渉するわけです。 

でもね、「ああ、これ以上はこの仕組みで続けていくのは無理だな」と状況を理解する瞬間があるんです。 

そこからは、みんなで何とか事業としては存続させようと、同じ方向を見てスムーズにまとまりました。

――海外での事業には天災や政局といったわかりやすい不可抗力だけでなく、さまざまなリスクや障壁があると思います。工藤さんがこの「失敗」から学んだことは何でしょうか。

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