退廃的でワイルドという「本質」
そして何より、それまでに作り上げた素晴らしい世界は、同時に限界もある世界だった。
たとえば、75年の「時の過ぎゆくままに」。作詞者の阿久悠は、こんな秘話を明かしている。
「『堕ちる』という言葉を変えてくれと、プロダクションからいわれたが、ぼくは頑張った。堕ちる歌なのである」(「愛すべき名歌たち―私的歌謡曲史―」)
生きることに疲れ、傷ついた男女の愛を気だるく歌い上げたこのバラードは、最高傑作との呼び声が高い。
ただ、その翌年、沢田は新幹線で「いもジュリー」と呼んできた男に腹を立て、暴力沙汰となった。前出の「我が名は、ジュリー」ではこの事件のことをこう振り返っている。
「もうこれ以上の恥ずかしいことはない。親戚にも迷惑かけて。だから仕事でもってやることは、多少の恥をかいたって、あれに比べれば大したことはない。(略)割り切るようになりました」
そこから派手路線をエスカレートさせていくわけだが、そんな彼らしいもろもろが結実したのが、78年の「サムライ」であり、79年の「カサブランカ・ダンディ」だ。前者ではナチスを連想させる衣装が注目を浴びたり、後者については今年の連ドラ「不適切にもほどがある」(TBS系)で昭和的な男っぽさがネタにされたりした。
つまり、退廃的でワイルドというのが沢田最大の持ち味。それは彼の本質にハマっていただけでなく、当時の価値観や美学にもまずまず適合していた。
しかし「カサブランカ・ダンディ」が1942年公開の米国映画を引用して「あんたの時代はよかった」と懐かしむ歌だったように、近々、時代遅れにされるものでもあったのだ。沢田はスターならではの嗅覚でそれを感じ取り、自分の世界にこもることにしたのではないか。どうせ時代とズレていくなら、自分の歌いたいようにやっていこうというように。