6月25日に76歳になった沢田研二
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 生ける伝説、という言葉がある。数々のヒット曲を持ち、60年近くにわたって歌手活動を続けているジュリーこと沢田研二は、まさに歌謡史の生ける伝説と呼びたい存在だ。

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 ただ、個人的にはそれ以上にふさわしいと思う言葉も浮かぶ。生きた化石、というものだ。

 生物学者のダーウィンが使い始めた言葉で、ウィキペディアには「太古に何らかの形で繁栄していたものが、今は何らかの形で細々と生き残っている」「他では失われてしまった太古の特徴をいまだに保持している」といった定義が示されている。一般的なイメージとしては、シーラカンスやカブトガニだろうが、アフリカゾウやジャイアントパンダ、ミツクリザメなども含まれていて、それなら、沢田にも十分に似合う言葉だと感じてもらえるのではないか。もっと言うなら、「極上」の生きた化石だろう。

 というのも、彼は1960代後半、グループサウンズ(GS)ブームのなかで世に出て、アイドル的人気を獲得。70年代から80年代半ばにかけては、自前のバンドを従えるソロ歌手として、ヒットチャートをにぎわせた。歌唱力に加え、作品の企画性や奇抜なパフォーマンス、衣装、化粧などで独自の世界観を構築。それはのちのJポップやヴィジュアル系ロックにも影響をもたらすことになる。

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宝泉薫

宝泉薫

1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など

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