四球の山を築いて自滅というと、高校野球の地方予選を連想する人も多いはずだが、プロにも、時にはストライクが入らなくなり、四球を出しまくった投手が少なからず存在する。
【写真】ファンは常にヒヤヒヤ 「劇場型クローザー」といえばこの人
これまでのNPBにおける連続与四球の最多記録は「5」。2リーグ制以降では、木田勇(大洋)、工藤公康(西武)、野茂英雄、石毛博史、前川勝彦(いずれも近鉄)、吉野誠(阪神)、濵口遥大(DeNA)の7人が記録している(濵口は申告敬遠も含む)。
2リーグ制以降、第1号となった木田は、先発した1988年9月6日の広島戦で、1対0とリードの5回1死から、突然ストライクが入らなくなった。
山崎隆造に対し、カウント3‐1から投じた外角低めシュートをボールと判定された木田は「球威のない僕に、低めが辛いとつら過ぎる」と訴えたが、判定は覆らない。
これで気落ちしたのか、高橋慶彦、小早川毅彦にも連続四球で満塁のピンチを招くと、長内孝に3‐1から押し出し。長嶋清幸にもストレートの押し出し四球であっさり逆転を許してしまった。
5者連続与四球は1リーグ制時代にも4度記録されていたが、2リーグ制以降では初めて。「5連続?新記録なんですか?でも、5個は出しちゃいけませんよね」と反省しきりの木田だったが、大洋・古葉竹識監督は「あんなに逃げなくても……。歯がゆかった」と苦渋の表情だった。
プレーボール早々、いきなり5連続四球を記録したのが、石毛だ。
97年6月10日の西武戦、1回表、石毛は先頭の大友進を四球で歩かせると、松井稼頭央、高木大成、鈴木健にも3連続四球で、押し出しによる先制点を献上。さらに次打者・マルティネスのときに暴投で2点目を許したあと、またしても四球を与え、1死も取れず、柴田佳主也と交代、最後は自らマウンドから押し出されてしまった。
その柴田も1死後、原井和也に押し出し四球のあと、高木浩之に左前タイムリーを浴び、石毛の2失点と併せて4失点。試合も4対11と大敗し、佐々木恭介監督は「疲れたよ。見てのとおり、話にならない。あれでは守っているほうも“しっかりせえ!”という感じがするよ。ボールの内容もクソもない。向こうも打席に立っていればいいという感じだった」と呆れ顔だった。